18/04/2023

2023.4.18(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ゼファニヤ書3章15節
イスラエルの王なる主はあなたのただ中におられる。
もはや、災いを恐れることはない。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
テモテへの手紙二1章7節
神が私たちに与えてくださったのは、臆病の霊ではなく、力と愛と思慮の霊だからです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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救い主イエスの復活10日目を迎えました。
復活されたイエスと弟子たちがともにいたのは40日のあいだでした。イースターから数えて10日。時が過ぎるのはあっという間だと、あたらめて思わされました。
 
そんななかで今日、ローズンゲンに示された聖書の言葉を通して与えられるテーマは「恐れ」であると私は受け止めました。そのあたりのことを黙想してみたいと思います。
 
実は、私にとって恐怖に感じていることが現在いくつかあります。そのどれもが、解決するのが本当に難しいと感じている人間関係についての悩みと恐れです。そんなことでくよくよしていたってしょうがない。神様が何とかしてくださるさ。そう思いながら夜の眠りに就いても、朝目覚めると、そのことがふっと頭をもたげます。
 
昨日、こどもさんびかの「きょうだんげんかをするときは」という曲を聞いていました。その曲のなかで「かみさま かみさま かみさま そのわけおしえてください」という歌詞があります。人間関係のもつれのようなものがあって、このもつれから解放されたいと思うときに、しかしどうしたらよいか分からない。まさに「神様、教えてください」と祈りたくなるのです。
 
そんななかで今日の聖書の言葉は、何度も何度も繰り返し聞いてきたものでありながらも、やはりそこに立つことが本当に大切なのだということを、改めて思わされる一節でした。神が私たちのただ中におられる。ともにおられる。私たちの背後に、私たちの目前に、そして傍らに、そして底辺から私たちを支え、天上からもすべてをご覧になられている。つまり全方位から私たちを見ていてくださる方が、究極的に私たちのただ中におられるのだということを、私たちに伝え続けてくださっているのだと。
 
私自身、そのような聖書の言葉に励まされます。しかし、すぐに忘れてしまいます。恐怖、つまり自分自身の臆病さというものに取り囲まれて、そのことでいっぱいになる私自身があるのです。だからこそ、こういう聖書の言葉を繰り返し繰り返し聴き続けることのできる幸いというものをかみしめたいのです。「力と愛と思慮の霊」という、今日の新約聖書の言葉に惹かれます。神がご自分の力をもって私たちを愛し、その愛には十分な思慮がともなっているのだと。それがキリストの愛なのであって、この愛を私自身受け取りたいし、受けとることで少しでも臆病から解放されて、キリストの愛で人ひとに向き合いたい。そんなことを願わされました。
 
私たちのただ中に立たれる主なる神の愛と平和が、今日も私たちを支配してくださいますように。お祈りいたします。

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