15/04/2023

2023.4.15(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ヨブ記9章4節
神は心に知恵があり、力は強い。
神に対してかたくなになって
誰が無傷でいられよう。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙9章20節
ああ、人よ。神に口答えするとは、あなたは何者か。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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救い主イエスの復活7日目を迎えました。そして、4月も折り返し地点を迎えました。この1日もまた、神が私たちとともにおられることについて、心のなかで思い巡らしながら、聖書の言葉に聴いてまいりたいと思います。
 
今日の聖書の言葉を見ますと、これまた私たちにとって恐れをなすようなひと言だなと感じたのは私だけでしょうか。神に対して頑固な自分自身を見せ、逆らい、口答えすることによって、あなたは無傷でいることができようかという問いを、今日の聖書の言葉は示しています。これは読み方によっては、いわゆる「神罰」というものを、あなたがたの態度次第で受けてしまうのだとも読めてしまいます。いわゆるカルト宗教は、こういう言葉を巧みに利用して、指導者の言うことをメンバーに聞かそうとするわけです。神の怒りを買いたくなかったら私に従え。と言ったような感じでです、昨今話題になっている、エホバの証人による2世への「むちによる虐待」は、そういうところに起因していると私は思います。
 
しかし、どうなのでしょう。「誰が無傷でいられよう」という言葉は、神が罰として私たちに制裁を加えるのだという読み方をするべきなのでしょうか。少なくとも私は、そういう読み方からは解放されたいし、是非とも避けたいと考えています。ではどういう読み方かというと、これは「自傷」なのではないかと思えてならないのです。心をかたくなにすることで、自分自身を傷つけるというものです。神の知恵と力よりも、自分自身の判断や行動を確信して物事を行う時に、ときに私たちは自分自身を傷つけてしまうことがあるのです。そういう姿を「自暴自棄」という言葉で、私たちは表現してきたのかもしれません。
 
あらゆるものにがんじがらめになりながら、袋小路に突き進んでしまい、後戻りできないようなとき、はじめて私たちは自分自身を傷つけていることに、はっと気づかされていることがあるでしょう。おのれが何者かを知る機会となるのです。今日の新約聖書が指し示している「あなたは何者か」という問いかけは、そのような私たちの自己認識というものを促すものにつながるのではないか。私はそのように受け止めました。
 
ですから、神に口答えすることで裁きや制裁を受けることへの恐れを助長するのではなく、自分自身のありようを見つめるなかで、実は自分で自分を追いつめていることに気づかされたら、私は今こそ、神の知恵と力によって生まれる慰めや助けというものに、自分自身が癒されたいと心から願わされました。私もいくつかの傷を抱えて生きていますが、その傷を癒してくださる神の助けを求めながら、今日の一日を生きていまいりたいと思います。
 
皆さんの一日にも、神の守りと平安がともにありますように。お祈りいたします。

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