13/04/2023

2023.4.13(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ネヘミヤ記9章31節
主よ、
あなたはその深い憐れみによって
彼らを滅ぼし尽くすことはせず
お見捨てにはなりませんでした。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書14章19節
イエスの言葉:
私が生きているので、あなたがたも生きることになる。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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救い主イエスの復活5日目を迎えました。
 
今朝は、近江八幡にあるアシュラムセンターの施設である「シメオン黙想の家」で朝を迎えました。月に一度の「常任運営委員会」に、協力牧師として出席するためです。3か月振りの近江八幡は、前回の冬模様とは打って変わって、新緑まぶしい初夏を思わせるような陽気と風景です。黙想の家で黙想を楽しむことのできる幸いを覚えながら、今日の聖書の言葉をいただきたいと思いました。
 
今日選ばれた聖書の言葉を通して思わされたのは「私たちを愛し続ける神」というものでした。旧約聖書の言葉はネヘミヤ記の一節です。それによれば、神はご自身の憐れみによって、ご自分の手でつくられた人間を滅ぼしたり、見捨てたりすることはなかったのだと記されています。人間は、神が創造された時に抱かれた「意図」にようには動きませんでした。人間が選んだ道、それは「神無しに生きる」というものでした。
 
人間が神から背を向けて生き始めたとき、神はこの作品は失敗作だったと簡単につぶすことは可能だったでしょう。しかし、神はそのようにはなさらなかった。失敗作をも愛おしんでくださったのです、人間が自分に背を向けて生きるということへの結末を、自分自身が自覚するように神は人間を扱わされたのでした。
 
私たちもそうです。人からガミガミ言われれば言われるほど、反発したくなる自分自身があります。そう、人間は極めて「あまのじゃく「」な存在なのだと。しかし、自分で経験してみて、初めていろいろなことに気づかされる。喜びもあれば後悔もある。はじめて物事のありがたみであるとか、それを見守ってくれた存在への感謝の念があふれたりだとか、私たちは自己発見することで、その背後にある意図というものに気づかされるのです。
 
では、私たちは何に気づかされるのか。滅ぼさない、見捨てない神の「憐れみ」に気づかされるのだと。この世の中が、必要と思われないもの、役立たないもの、従順でないものに対して、はい用無しと簡単に投げ捨ててしまい、葬り去ってしまうようなことが数多くあるなかで、神の私たちに向けられる憐れみこそ、私たちが再生して生きる、つまり、復活に生きることができるための、なくてはならない助けなのではないかと思わされるのです。
 
イエスは言われました。私が生きているから、あなたがたも生きると。私が復活の主であるからこそ、あなたがたも復活するのだと。これほど心強い希望の言葉はあるだろうかと、私は素直に受け入れたいのです。
 
どうぞ今日の一日が、皆さんにとって神の憐れみによって立ち上がることのできるときでありますように。お祈りいたします。

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