11/04/2023

2023.4.11(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編91編9節
あなたは、わが逃れ場である主
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二1章5節
キリストの苦しみが私たちに満ち溢れているように、私たちの受ける慰めもキリストによって満ち溢れているからです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

******
 
救い主イエスの復活3日目を迎えました。
 
昨日はじっくりとイースターの余韻に浸ろうと思い、仕事から離れて一日を過ごしました。しかし、ほぼほぼ「寝て過ごした」一日でした。朝のごみ出しを終えて、9時にベッドに就いて12時まで眠り、まだ眠れそうと思って、13時にもう一度ベッドで横になったら17時まで眠ってしまいました。そして、夜も22時に眠り始めて、今朝起きたのがなんと7時でした。この一日で16時間も眠っていたとは。静かにしているのにもほどがあると自分自身に呆れつつ、しかし、しっかりと休むことができたので、元気を取り戻すことができました。今日からまた張り切って働くことができそうです。
 
さて、今日の旧約聖書の言葉である、詩編91編9節には「主はわが隠れ家」という、詩編でしばしば用いられているフレーズです。主なる神は私たちをそのような所でかくまってくださるというイメージを、私たちに与える言葉であると思います。
 
この詩編91編9節ですが、ローズンゲンの原著で引用されている「ルター訳聖書2017年版」では、隠れ家について「Zuversicht」という単語が用いられています。この言葉は「確信・信頼」という意味があります。私は思いました。隠れ家とは、絶対にかくまってもらえるという安心や信頼にもとづいた確信があってこその隠れ家なのだと。
 
主はわが隠れ家、ということは、私たちにとって主なる神の存在こそ、私たちの安心であり、信頼であり、絶対的な確信であるということなのだと。この絶対的な信頼を受けるにふさわしい方であるということが、そのまま救い主イエスに引き継がれているというのが、今日の新約聖書の言葉が指し示していることなのだと私は受け止めました。
 
私たちの味わう苦しみ。そしてそういう時にこそ欲したくなる慰め。しかし、私たちの苦しみの一切合切は、救い主イエスの十字架によってすべて引っ提げられたのだ。そしてイエスの苦しみが私たちすべてを慰めへと向かわせてくださったのだ。あなたがたはしっかりとイエスによって守られているのだと。あなたが信頼をもって逃れ場として選んでくださったところは、そのようなイエスの慰めに満ちた守りが、あなたをしっかりとホールドしているのだ。そんな風に私は感じたのです。
 
神にしっかりと抱かれ、守られていることこそ、イースターの期節を生きる私たちへの慰めと受け止めて、今日の一日を歩んでまいりたいと思います。どうぞ皆さんの一日もまた、主によって守られていることの幸いを味わうときとなりますように。お祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿