09/03/2023

2023.3.9(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
申命記2章7節
あなたの神、主は、あなたの手の業すべてを祝福し、この広大な荒れ野の旅路を見守ってくださった。この四十年の間、あなたの神、主はあなたと共におられ、あなたは何一つ不自由しなかった。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書22章35節
イエスは使徒たちに言われた。「財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか」。彼らは「何もありませんでした」と言った。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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四旬節(レント)14日目を迎えました。
昨晩は結構早い時間にベッドに就いて、たっぷりと休むことができました。通常は5時台に目覚めるのですが、今朝はなんと8時に目覚めました。それだけ黙想をお届けする時間も遅くなってしまいましたが、私は十分な休息が取れたので、とても喜んでおります。まさに「春眠暁を覚えず」だなと。春は着実に近づいています。
 
さて、本日私たちに与えられた聖書の言葉ですが、特に旧約聖書の言葉は、私の好きな言葉のひとつです。モーセがイスラエルの民と40年間荒野をさまよい歩いた末に、それでも神が示された約束の地を目前にしてたどり着けない。そんな時にモーセの口から民たちに向けられた言葉が、本日のローズンゲンに示された聖書の言葉です。
 
モーセとともに歩んだイスラエルの民は、すでに世代交代していました。40年間の苦難を最初から知っている者は、もはや少数でした。人生の最晩年期にかかったモーセは、その40年間を振り返るように、民たちに語りました。「何一つ不自由しなかった」と。
 
私は、このモーセの言葉を聞くたびに、ただただ驚かされます。そんなはずはないだろうと思うのです。民たちが旅に疲れ、ことあるごとに不平不満をぶちまけ、そんな民たちをリーダーとしてともに歩まなければならなかったモーセの苦労たるや、半端ないものだったろうと容易に想像できるからです。まさに荒れ野の40年は苦労の連続だったのです。
 
しかしモーセは、にもかかわらず、神が私たちにこの40年間、何ひとつ不自由なく助け、与え、ともに歩んでくださったのだと振り返ります。モーセは、いろいろなことがあったけれど、神が自分たちを見離すことはなかったのだ。歴史を振り返りながら本当に大切なことに眼を向け、その事実を認めて証言できた。このモーセの姿勢に心打たれるのです。
 
私は思いました。その時の自分の機嫌次第で見るべきものが見えなくなってしまい、本当に大切なことを見失ってはいないだろうか。のどもと過ぎれば熱さを忘れてしまうようなことはないだろうか。一部だけを見るのではなく、総合的全体的に見渡して、その結果あぶり出ることに関心を向けるように、自分自身がなっているだろうかなど。。。
 
モーセは荒野の40年を歩み、その歩んだ歴史をもって、非常に広い視野をもって神を見ることができました。そして、私たちの神こそ、私たちの必要を神の方法で必ず満たしてくださることを確信しました。モーセは約束の地にたどり着くことができませんでした。しかし、後の世代が向こう岸に渡ることができるのだから、全体的に神を見なさいと告げることができたのでしょうし、それをすることが、年長者モーセの務めと責任だったのでしょう。
 
そんなモーセの言葉に支えられながら、今日もまた神を見つめる視野を、是非神に広げてもらいながら一日を過ごしたいと願わされた次第です。決して自分の感情や願望だけで神を矮小化しないように、神に祈りつつ、御言葉に聴きたいと思わされました。
 
どうか皆さんの一日も、神がともにおられることの実感が豊かにありますように。お祈りいたします。

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