07/03/2023

2023.3.7(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
列王記上8章57節
私たちの神、私たちを見捨てないでください。私たちを見放さないでください。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
テサロニケの信徒への手紙二3章5節
どうか、主があなたがたの心を、神の愛とキリストの忍耐へとまっすぐに向けてくださいますように。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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四旬節(レント)12日目を迎えました。本日もまた、主イエスが与えられた言葉と行いに、私たちが耳と心を傾けることができますように。そのことを祈りつつ、与えられた聖書の言葉から黙想を深めたいと思います。
 
本日の新約聖書の言葉である、テサロニケの信徒への手紙二3章5節には「神の愛とキリストの忍耐」というひと言がありました。「愛」という言葉と「忍耐」という言葉が同列に置かれています。私は、この手紙を書いた使徒パウロが、コリント教会に宛てて書いた手紙の、あの一節を思い出しました。「愛は忍耐強い」(コリントの信徒への手紙一13章4節)。
 
どんなに愛を注いでも、その愛に呼応してもらえないとき、ときに忍耐強さというものが要求されるときがあります。応答がないからと言って、自分が注いだ愛に応えるようにと相手に要求することがあるならば、その時点で相手を支配してしまうことになるのです。その要求は自分の不安を満たすだけにしか用いられることがないのです。愛が独善的な支配にすり替わってしまう。残念ながらこれが歴史の物語る、人間のついつい抱いてしまう傾向なのだと、私は自分自身を振り返ってみても思わされてしまいます。
 
では、そのような人間の傾向をさらけ出してしまう根源はどこにあるのか。その鍵となるのが「忍耐強さ」なのではないかと思うのです。忍耐強くあることは、こちらの期待を強要することなく、愛を注いだ相手がキリストの愛によって自立できることを、ただただ見守ることへつながっていくのだと。そう考えると、イエスの使徒たちをはじめとする弟子たちへの対応は、まさに忍耐強さの塊そのものであると私は思います。こういう忍耐のなかで、イエスは十字架への道が進まれたのだと。レントのときだからこそ、そういうイエスの忍耐強さに思いを向けることができるのだと感じるのです。
 
私たちを見捨てず、見放されない神が、長い歴史のなかで私たちの側から気づくことを待っておられる。ご自分の言葉を与え、その言葉が具現化されるために救い主イエスをお与えくださることによって、私たちに常にヒントを出し続けておられる。この忍耐強い愛に本日も動かされたいと願わされました。そして、願わくば私もその忍耐強さをもって、愛するひとりひとりに接することができたらと思います。そう簡単にできることではありませんが、せめて心に1mmでもいい。何かの進歩があればと神に願いつつ、本日の旧約聖書に示された祈りをつむぐ者でありたいと思います。
 
どうぞ皆さんの一日が、神の忍耐強い愛に支えられるがゆえの幸いを味わう時でありますように。お祈りいたします。

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