06/03/2023

2023.3.6(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ゼカリヤ書2章12節
万軍の主はこう言われる。
あなたがたに触れる者は私の目の瞳に触れる者だ。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書25章40節
この最も小さな者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのである。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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四旬節(レント)11日目を迎えました。今週もまた、レントの日々を歩むなかで、命の道を進み行くイエスの声に耳と心を傾けてまいりたいと思います。
 
神は私たちひとりひとりがご自分の瞳のようであると、預言者ゼカリヤに伝えました。瞳とは眼球の中央部分にあたる、つまり「黒目」と呼ばれる部分です。眼球に入る光を調節し、ものを見るために無くてはならない存在です。つまり、私にとって無くてはならない存在として、神は私たちのことを見ていてくださっているのだと、本日の旧約聖書の言葉は私たちに伝えています。
 
それだけ神の目から見れば、私たちの存在は決して小さなものではないのだと。まさに、ご自身が愛情をこめて私たちに命の息吹を与えてくださったことの意味というものを、瞳というひと言が表現しています。それは同時に、私たちがあらゆる人間関係のなかで、他者に対してどのような態度を取ることが、神の御心にかなったものとなるのかということについて、私たちに示唆というものを与えているような気がしてなりません。
 
イエスは言われました。これらの者のうち最も小さい一人にしたのは、私に対してしたのであると。私たちはついつい自分の価値基準で他者を見下し、小さな者として扱ってはいないだろうか。そんなことを黙想させられます。なぜならば、神は私たちのどんなに小さい一人に対しても、ご自分の瞳のように思ってくださるからです。
 
私にはどうしても愛せない人がいます。どんなに頑張っても愛することができないのです。だからと言って、私がその人の存在を過小評価するわけにはいかないのです。だからこそ、私から見ればそのように映る人をも、ご自分の瞳のように愛してくださる神の御業というものに、全幅の信頼を置いて、今日という一日を歩みたいと思いました。私たちの誰をも、命の極みに至るまで愛し抜かれた主イエスを前に、自分自身を振り返りつつ。
 
今日の一日が、皆さんにとって素敵なときでありますように。神の愛が皆さんの一日を活かしてくださいますように。お祈りいたします。

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