05/03/2023

2023.3.5(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編33編9節
主が語ると、そのように成り
主が命じると、そのように立った。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書8章8節
(百人隊長はイエスに言った。)
主よ、私はあなたをわが家にお迎えできるような者ではありません。ただ、お言葉をください。そうすれば、私の子は癒やされます。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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四旬節(レント)2回目の日曜日を迎えました。世界中の教会や集会でおこなわれる礼拝に、神の祝福をお祈りいたします。
 
さて、本日の聖書の言葉、特に新約聖書は、ローマ帝国軍の百人隊長による懇願の言葉です。彼の子どもがひどい病で苦しんでいるのを見て、是非イエスに癒して欲しいと願いました。(聖書協会共同訳では、「しもべ」ではなく「子」と訳されているのは、従来訳にはないもので、とても興味深いです)。子(もしくはしもべ)を大切に思う百人隊長の人柄がうかがえます。
 
しかし、ここでさらに興味深いのは、百人隊長がイエスに臨んだことです。イエスによる癒しは通常、直接手で触れるなどの行為によって行われます。実際に、百人隊長がイエスに懇願する直前には、病で苦しんでいた人に、イエスが直接手を触れることで病を癒したことが記されています。百人隊長は言いました。「ただ、お言葉をください」と。
 
ここに、百人隊長のイエスに対する深い信頼の念が表れていると私は思いました。百人隊長は組織の長として、自分の言葉で部下に指示を出して、その通りにすることができる権限を持っていました。ローマ軍の百人隊長(ケントゥリオ)は、人々に良く知られた、身近な軍隊の上官でした。彼は権威ある者としての「言葉の重み」というものを心得ていました。だからこそ、イエスの言葉を通して明らかにされる彼の権威を心から感じ、信頼することができたのだろうと思うのです。
 
イエスは百人隊長の信頼を全面的に受け入れました。そして、彼の言葉が子の病を癒させたのでした。言葉の与える力というものを、つくづく感じさせられます。
 
私は思いました。本日の礼拝で神の御言葉を取り次ぐわけですが、御言葉の取り次ぎとは何かということを改めて考えさせられました。それは言葉を通して働く神の力というものです。神の力を神の力として取り次ぐこと。その力が人を癒す原動力となること。それは説教者の能力でも何でもないのだと。そのことを胸に刻んで、本日の礼拝に臨みたい。そんな気持ちにさせられました。決して語る者の願望や大したことのない力を、さも神がかりのように押し付けることのないようにしたいと思いました。
 
神の言葉が与える力に、語る者も聴く者も信頼できるような礼拝となりますように。そのことを祈りつつ、皆さんの主の日が祝されたものでありますように。お祈りいたします。

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