29/03/2023

2023.3.29(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編117編1節
主を賛美せよ、すべての国よ。
主をほめたたえよ、すべての民よ。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
使徒言行録2章11節
(ペンテコステの日に人々は言った)
私たちは、自分たちの言葉で神の偉大な業が語られるのを聞いているのだ。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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四旬節(レント)31日目を迎えました。
昨日は一日お休みをいただいて、盛岡へ出かけました。会いたい人に会って、話したいことを話し、食べたいものを食べて、自分の好きなように時間を使うことが、自分自身にとってとても大切なことであるのを、あらためて知らされました。レントは節制の期節と言われていますが、昨日はそこからも離れて、本当にゆっくりとすることができました。心から感謝です。
 
さて、本日の聖書の言葉は、どちらも主なる神を「賛美」する私たちがあることを思わせるものです。賛美とは何も音楽だけに限りません。私たちは言葉をもって神をほめたたえるものはすべて賛美であると言って、間違いないのだと思います。
 
本日の新約聖書の言葉は、ペンテコステの日に聖霊の導かれるがままに、あらゆる言葉をもって神をほめたたえ、その救いの言葉が宣べ伝えられたことによる人々の反応の言葉でした。自分たちが普段使いしている言葉で、神の言葉を聞き、その救いを聴くことで、人々はそれぞれの心に、神を感じることができたに違いありません。ただし、その出来事はすべて「聖霊の導き」ゆえのことだったと、聖書は記しています。
 
聖霊の導きによって、私たちは神の言葉を神の言葉として受け入れることができるのだと。そして、受容によって生み出される実は「賛美」であるというのです。聖霊の働きを重んじる教会が、賛美を重視するのも納得できることです。心からあふれる賛美というものを、是非大切にしたいものだとあらためて思わされました。
 
ただ、それも「~でなくてはならない」「~であるべきだ」と私たちの側で賛美を規定し、規制し、制限するようなことがあるならば、それが聖霊の導きに沿っていることなのかどうかということは、立ち止まって考えてみることは大切なのかもしれません。とかく、音楽をめぐっては教会内の論争の種になり、また聖霊理解というものも争いのもとになってしまうことを私たちは知っています。極めて「主観的」な面が強くなってしまう傾向があるものだと、私は考えています。
 
だからこそ、賛美について本日の聖句を通して、じっくりと考えたいと思わされました。賛美が私の生活に無くてはならないほど、豊かさを与え喜びを提供するものであることを、日々認識するためにです。
 
どうか皆さんの口からあふれる賛美に働く聖霊なる神が、皆さんを祝福してくださいますように。お祈りいたします。
 

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