27/03/2023

2023.3.27(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編48編11節
神よ、御名のように、あなたへの賛美は地の果てまで及びます。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書10章7節
行って、「天の国は近づいた」と宣べ伝えなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

******
 
四旬節(レント)29日目を迎えました。
今週も主の日が終わり、私たちはそれぞれの場に遣わされて、ウィークデイの日々を過ごそうとしています。そう、私たちは「遣わされている」という感覚を、神との関係のなかで持つことができているのだ。この文章を書きながらあらためて思わされました。神が遣わされる場とはどのような所なのだろうか。そして、私たちは遣わされた場でどのように生きるのだろうか。そんなことを思ったのでした。
 
本日の新約聖書の言葉は、イエスが選ばれた12人の使徒たちを、宣教の現場へ派遣した際にイエスによって語られたものです。「天の国は近づいた」ことを宣べ伝えなさいというメッセージです。天の国というと、どうしても「天国=死後の世界」ようなイメージがつきまとうかもしれないし、天の国の到来と聞けば、この世界の終末からイエスの再臨に向かう歴史を思い浮かべるかもしれません。
 
実はこのような感覚のとらえ方というのは、イエスが使徒たちに向けて語られた約2000年前からずっと、その時代を生きてきた人たちのなかで現実味をもって受け入れられてきたと思うのです。人間ならば誰でも迎えることになる「死」を通して天国を思い、また終末が近い、再臨が近づいていると切迫感を抱きながら、天の国を思うというものです。
 
私は、そのどちらも間違っていないと思います。しかし、まだ見ぬ死や終末などの将来ばかりを見つめてしまうばかり、私たちが「今」を生きるこの世界に「天の国の価値観」というものが損なわれたりそがれたりするのであれば、私たちは「天の国のリアリティ」というものを持てなくなってしまうのではないか。そんな風にも思えてならないのです。
 
少しややこしいことを書いてしまっているかもしれません。別な言い方をもって、少々簡潔な言い方をするならば、天の国というのは、私たちがこの世の現実にしっかりと地に足をつけながら、神の価値観が豊かにされていく世界なのではないか。そう信じて、天の国の味わい深さを堪能して生きたいのです。
 
そのためにイエスは使徒たちを遣わされました。その中心は死や終末の恐れというものをちらつかせるものではなく、あくまで神がイエスを通してしめされた御大切、つまり私たちひとりひとりの命と尊厳を大切に守ってくださり、私たちが生きることの幸いを味わわせてくださるために与えられる「愛」がある。この愛を伝えることが、天の国が近づき、神の価値観が世界に広がりゆく宣教なのだと。そして、私たちもまた神の愛をいただいて、この世界に遣わされていくのだと。それが賛美となり歌となっていくのだと、私は本日の聖書の言葉を通して、あらためて気づかされました。
 
人のいのちと尊厳を大切にする天の国の価値観が、私たちのもとに近づいていることを望みつつ、期待しつつ、今日も希望をもって歩むことができますように。それぞれに遣わされた場で、生かされている命をもって、今日の一日に幸いを神がもたらしてくださいますように。お祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿