26/03/2023

2023.3.26(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
列王記上8章27節
(神殿奉献の際のソロモンの言葉)
神は果たして地上に住まわれるのでしょうか。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書1章18節
いまだかつて、神を見た者はいない。父の懐にいる独り子である神、この方が神を示されたのである。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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四旬節(レント)5回目の日曜日を迎えました。
多くの教会では2023年度最後の日曜日を迎えておられるのではないかと思います(年度初めが1月の教会があることも知っています)。過ぎようとしている年度を振り返りつつ、教会という場を神がどのように祝してくださっているのかのについて、本日与えられた聖書の言葉から、深い黙想が与えられたような気がします。
 
本日の旧約聖書の言葉は、イスラエルの王ダビデの思いを受け継いだ息子ソロモン王が、神の導きと支えによって神殿が完成し、その神殿を奉献するに際してソロモンによって神に向けられた言葉でした。神は地上に住まわれるのか。そのような言葉をソロモンは神に向けて発しました。そして、ソロモンは以下のように言葉を続けます。
 
天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの神殿などなおさらです。(27節後半)

このソロモンの言葉に、彼の極めて謙虚な面を見ることができます。ソロモンは神殿建設という一大事業を成し遂げました。その会堂は荘厳であり、すばらしい材料をもって建造されたことは一目瞭然です。この事業に先頭を切って取り組んできたソロモン王の力を見ることもできるでしょう。しかし、そのようなソロモン王が神殿を前にして、私の神殿にあなたをお収めできないほどに、あなたは素晴らしい方なのです。私の思いや私の力で、あなたを押し込め、小さい存在にしてはいけないのだ。そういう意味でソロモンは「神はこの地上に住まわれるのか、いや、決して私の世界、私の手中に引き寄せて、利用してはならないのだ」との思いで、本日の旧約聖書にあるような言葉を発したのだと、私は受け止めました。
 
教会は建物ではない。私はあらためて感じさせられます。神が私たちとともにおられることが明らかにされる場なのだと。神を自分の側に引き寄せて、私好みの神を崇め奉るちっぽけな場では決してなく、私たちの手中では絶対に収めることのできない神の偉大さというものが私たちに知らされ、私たちに命を与え、その命を喜ぶ場として、教会が与えられているのだと。
 
教会が「キリストのからだ」と言われるのは、教会という場に救い主イエスの言葉が、思いが、願いがすべて込められているからです。人々は、たとえ神を見ることができなかったとしても、人間のかたちをとられたイエスが私たちとともに生きてくださり、その言葉と行いのすべてを私たちに示してくださいました。そのイエスのすべてに、私たちは教会という場を見ることができるのだと。
 
確かに建物を通して、私たちは教会を見ることができるでしょう。しかし、それ以上に大切なのは、たとえ建物が稚拙だったとしても、その場にキリストの言葉が、行いが、御心が、そして愛が注がれるということへの素朴な実感です。その素朴な実感というものを、ソロモンの祈ったその思いをもって、今日も礼拝の喜びを味わってまいりたいと願わされました。
 
どうか、世界中で行われる主の日の礼拝・集会の一切に、神の恵みが豊かにありますように。心よりお祈りいたします。

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