24/03/2023

2023.3.24(金)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
エレミヤ書35章14節
(主の言葉)私が繰り返し語り続けてきたのに、あなたがたは聞き従わなかった。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書11章28節
(イエスの言葉)幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

******
 
四旬節(レント)27日目を迎えました。
昨日は、東京近辺にあるキリスト教主義大学の先生方の研究会に呼ばれて、カルト宗教の現状について講演をする機会をいただきました。あいにくながら雨の東京でしたが、桜の花が咲き誇る、すっかり春の装いを見せた東京の春を楽しむことができました。研究会でも、その後の夕食の場でも、久しぶりにお目にかかる同業者の先生方もあり、旧交を深めることができました。
 
さて、本日の旧約・新約の両聖書に描かれているそのテーマは「聴き従う」、つまり聴従することの幸いと言えるでしょう。選ばれたのは、旧約聖書エレミヤ書の一節です。預言者エレミヤを通して、神はご自分の民に何度も、何度も神御自身の言葉に聴き従うことの大切をを伝え続けました。しかし、それは民たちの心に響くことがありませんでした。その結果、彼らはバビロン捕囚という、苦しみを経験することになります。
 
なぜ、神の民たちはそのような神のメッセージに聴き従わなかったのでしょうか。彼らは聴き従っていないという自覚が無かったのです。自分たちは神の民。私たちがどんな状態にあっても、神は私たちのことを救ってくれるのだから大丈夫。そんな油断こそ、彼らが神の言葉に聴き従わなかった最大の理由なのだと私は思うのです。
 
自分は大丈夫だと思うばかり、大切なことをおろそかにしてしまうというのは、どの世界にもあると思います。例えば、一流のミュージシャンがその高い音楽スキルを保ち続けることができるのは、日々の鍛錬というものを忘れず、おろそかにせず、地道に取り組んでいるからと言えるでしょう。そういう積み重ねこそ人を育てる。おそろかにすれば、いつかは自分の身にそれだけのことが降りかかってくるというのです。
 
エレミヤを通して語られた神の言葉を聞かなかった民たちに足りなかったのは、そのような日々の営みだったのでしょう。神の言葉に聴き、祈る、自分を整えて、その言葉に従い、神に従う。そのことを通して確かめるのは、自分自身の無敵さでも完璧さでもなく、まだまだ道半ばあれど、神の語る言葉に聴き従うことによって、神が私たちの人生をご自分の言葉をもって支えてくださるということへの幸いです。そして、神が設けてくださった人生の道を歩むという「神の言葉に導かれた行い」を楽しむことができるのだと。それが、本日の新約聖書の言葉にある、イエスの言われる幸いに相通じるのだと受け止めました。
 
レントの日々を歩むというのは、それすなわち、神の言葉に聴き、そして従うという道なのだと。レントもちょうど3分の2を過ぎた今日の歩みが、神によって守られ、祝されますように。お祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿