23/03/2023

2023.3.23(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編65編8節
(我らの救いの神よ。あなたは)
大海のどよめき、波のどよめき
そして諸国の民の騒ぎを鎮める方。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書1章73~75節
(ザカリアの言葉)
これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。
こうして我らは
敵の手から救われ
恐れなく主に仕える
生涯、主の御前に清く正しく。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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四旬節(レント)26日目を迎えました。
ここ数日、仙台の街も春日和の天気が続くようになりました。振り返ってみれば3月も下旬。本格的な春はもうそこまで来ているのだと、あらためて感じさせられました。私もこの街に来て、はや1年が経とうとしています。あっという間の、しかし本当に充実した日々を過ごすことができていることができています。感謝なことです。
 
さて、本日の旧約聖書の言葉は、神が人間のあいだに起こるあらゆる喧噪というものを鎮められる方であるという、ダビデ王による賛美の言葉です。大波のどよめきを鎮められるという言葉を聞くと、私なんかはすぐ津波と結び付けてしまうところがあります。その恐ろしさというものを知っている方にとっては、それを鎮められる神とは一体どのような存在なのだと思ってしまいます。ですから、私はこの言葉を通して、神が自然界をも制御し、それを用いられる方であるということを、あまり語りたくないという思いが正直あります。
 
ですから、本日の黙想はその後半部分である「諸国の民の騒ぎを鎮める方」という部分に注目したいと思いました。人々のあいだで起こる喧噪とは一体なんだろうか。そんなことを黙想しつつ、新約聖書の言葉に導かれたいと思います。
 
本日の新約聖書の言葉は、洗礼者ヨハネが生まれたときに、ヨハネの父となった祭司ザカリアの舌がほどけて、これまで黙らされていた言葉が彼の口からあふれた。その賛美の一節です。よく言われる「ザカリアの賛歌」と呼ばれるものです。ここでザカリアは、敵とされる者の手から神の民を救うために、わが子ヨハネが用いられるという神のメッセージを預かり、それを賛美したのです。実際にヨハネは、洗礼者としての役割を果たし、救い主イエスを迎えるための備えをするという務めにあずかりました。
 
人々の喧噪というものは、道を歩むうえでも妨げとなり、混乱の元となる。混雑した道を歩くことは、なかなか安心できるものではありません。道を歩むなかで、さまざまなトラブルを生んでしまうのではないかと考えてしまいます。それは、レントという40日間の道のりを私たちが歩むなかで、日々のさまざまな出来事に翻弄されながら、悩み、葛藤し、その道をたどたどしく歩む私たちの姿というものに、重ね合わせることができるのかもしれません。
 
しかし、神はそのような道を混乱のままにはしておかれない方であるということを、今日の聖書の言葉からも受け止めたいと思ったのです。人々の喧噪を鎮めるために、その道におけるさまざまな障がいというものを取り除くために、その道を整える務めが与えられているのだと。それが洗礼者ヨハネの務めであったのだと。私たちはこうして、四旬節における道のりすらも、さまざまな困難がつきまとうとも神が整え、備えてくださるからこそ、目標を明確にして歩むことができるのだと。そのように受け止めたいと思ったのです。
 
私たちにはイースターという希望に満ちあふれた目標が設定されています。そのゴールは、春の訪れとともに近づきつつある。そんな気持ちを抱きながら、今日の一日も過ごしてまいりたいと願わされました。どうか、皆さんの一日の歩みのうえにも、その道をご自分の言葉で整えてくださる神の守りと助けがともにありますように。お祈りいたします。

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