22/03/2023

2023.3.22(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
エゼキエル書34章16節
私は失われたものを捜し求め、散らされたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病めるものを力づける。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書15章6節
(羊飼いは)家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、「見失った羊を見つけましたから、一緒に喜んでください」と言うであろう。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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四旬節(レント)25日目を迎えました。
本日私たちのために選ばれた聖書の言葉を通して、まず思わされたのは、十字架への道を歩まれるイエスが、どういう思いをもって私たちのことを見つめ、また取り扱っておられるかについて、深い黙想を得るものだと受け止めました。
 
イエスが十字架への道を進まれたのはなぜか。それは私たちを「みなしご」にされないためでした。私たちは道からそれて歩もうとします。独立独歩を声高に叫びながらも、最終的に迷子になってしまう存在なのだと。ある意味で言えば自業自得であり、自己責任によって処理しなければならないのかもしれません。
 
しかし、イエスはそういう私たちをあえて探されます。見つけて、抱えてくださる。そんな羊飼いのイメージをイエスに合わせるように、私たちひとりひとりを促します。自業自得・自己責任とは言えども、私たちは自分自身ではどうしようもなくなり、痛み、傷ついていく。それを癒してくださるのが、私たちの神であるというのは、預言者エゼキエルも語っている通りです。
 
そういう取り扱いを神が、イエスが明らかにされながら、私たちの先頭をきってレントの道を歩んでくださるのだ。これが私たちにとっての慰めであり、励みであり、喜びであると。私だからこそ、私自身の誤った歩みというものが、しみじみと沸きあがってくる、そんなことを思わされます。
 
失敗を犯したときに、頭ごなしにとがめられても、ただとがめられていることだけが記憶に残り、物事の本質というものがなかなか理解できない時があります。助けられるだけの資格をもっていない。しかし、それでも助けてくださる方の愛に、私たちの心が揺り動かされ、本当に大切なものを受け取ることができるのだと、あらためて実感させられます。そういう方が、私たちの救い主としていてくださることに、心から感謝して、今日の一日を歩みたいと願わされました。
 
本日もそのような主に支えられて過ごす一日が、喜びに満ちあふれたものでありますように。皆さんの幸いのために、心よりお祈りいたします

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