21/03/2023

2023.3.21(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
申命記8章3節
人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書6章68節
主よ、私たちは誰のところへ行きましょう。永遠の命の言葉を持っておられるのは、あなたです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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四旬節(レント)24日目を迎えました。
私は昨日から、日本基督教団北海教区・奥羽教区・東北教区の代表者が一堂に会して行われる「北日本宣教会議」に出席しています。さまざまな宣教の課題というものが分かち合われ、共有することによって、イエスが私たちとともにおられることの実感というものを味わいたい。そんな思いで会議に臨んでいます。懐かしい友人との旧交を深めることができるのも、とても感謝なことです。
 
そんな環境のなかで、宣教の課題とは一体何だろうか。その本質とはなんだろうか。そんなことを思わされます。そして、私は改めて思わされます。イエスが行われたように、イエスが愛されたように、私たちもそれに倣うものであり、愛し合うものであり、イエスの命令に応えていきたいと。この命令に基づいて行われることが、その現場や環境によって多種多様なかたちとなって表れていくのだと思うのです。
 
しかし、基本は変わることのないものであると私は受け止めたいのです。それこそ、本日のローズンゲンの御言葉に示された通り、主の口から出る言葉によって、つまり、神の御言葉である聖書に丹念に、謙遜に、そして前向きに聴き取っていく姿勢なのだと。それこそ永遠なる命の言葉とイエスが言われたように、私たちの命を活かすために無くてはならない基礎なのだと。その点においては不動なのだと受け止めたいのです。
 
世が滅びようとも、私の言葉は決して滅びない。イエスが弟子たちに語られた言葉です。時代が変わって、世の中の必要や要請が変わったとしても、神の言葉が与える本質がゆがめられたりすることは決してあってはならないし、それを我田引水のように利用してはならないことを思わされます。御言葉を真ん中にして分かち合われることの幸い、祈り祈られることの喜びというものを是非味わいたい。これが私の本日の黙想です。
 
神の御言葉がしっかりと私の心の礎となり、その礎の上に建てられる豊かさが、私たちの命を活かしてくださいますように。神に祈りつつ一日を過ごしてまいりたいと思います。皆さんの一日にも、神の言葉が与える喜びがともにありますように。お祈りいたします。

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