18/03/2023

2023.3.18(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編14編3節
すべての者が神を離れ、ことごとく腐り果てた。
善を行う者はいない。一人もいない。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書7章14節
命に通じる門は狭く、その道も細い。そして、それを見いだす者は少ない。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

******
 
四旬節(レント)22日目を迎えました。
今週の歩みも本日で終わり、明日はレント4回目の日曜日を迎えます。この一週間にあったさまざまな出来事を心のなかで想起しながら、明日へ向かう備えの時として過ごしてまいりたいと思います。
 
そのようななかで、本日選ばれた聖書の言葉は、自分自身の立ち位置というものを、あらためて考えさせられる言葉であると受け止めました。それは、いわゆる私たちの「罪認識」がどういうものか、についてです。
 
私がエホバの証人であった頃の話です。エホバの証人の組織は、しばしば本日の新約聖書の言葉である、マタイ福音書7章14節を引き合いに出します。命の道に通じる狭き門をくぐりなさいと。そしてくぐることができるのは、私たちエホバの証人だけなのだと。そのように徹底的に教えられました。自分たちだけが正しい道を歩むことができるのだと。そして自分たち以外の者、攻撃をしてくる者はすべて間違っている。滅びの道をたどるのだと彼らは言うのです。
 
カルト宗教の特徴は、完璧な二元思考に立つように人々をマインド・コントロールをして、そのような思考回路をつくりあげることにあります。私たちは正しい、私たち以外は間違っている。だからこそ、正しい道を歩まない者に対しては内外を問わず攻撃的になります。自分たちは迫害されていることを強調し、また組織をクリーンな状態に保つことを目的として、自分たちから見たら異分子と思える存在を排除し、忌避するのです。
 
だから、私は思うのです。このイエスの言葉を、自分自身を正当化するための言葉としては使いたくない、ということをです。この言葉はややもすると、クリスチャンは命の道、クリスチャンでない人は滅びの道と、規定したくなる言葉であるかもしれませんし、キリスト教は長い歴史のなかで、特に異教世界と言われる日本への宣教においては、そのことを教えてきたのだと思います。
 
しかし、誤解を恐れず申し上げるならば、そのようなアプローチで本当に良いのだろうかと思うのです。私はこの言葉は、自分自身の立ち位置を常に確かめることの大切さというものを、イエスは教えているのだと受け止めたいのです。自分自身が正しいことを確信する言葉ではなくて、私は本当に命の道を歩んでいるのだろうか。神に背を向けて、自分自身の心を神がくださる愛に沿わせていないだろうか。そんなことを日々確かめながら、命の道に向かって歩むことの大切さを思わせるためのイエスの言葉なのだと。そのように受けとめたいのです。
 
他を見下して自分を高めるのではなく、自分自身を低めてこそ見えてくる神の助けとか慰めというものを大切にしたいと思うのです。それがレントの道ゆきなのだと。一週間を振り返るための一日として、そんな私たちひとりひとりにも命の道を指し示してくださる主を想うことができますように。お祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿