17/03/2023

2023.3.17(金)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
エレミヤ書5章3節
主よ、あなたのまなざしは
真実に向けられてはいないのですか。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書16章10節
ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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四旬節(レント)21日目を迎えました。
本日から四旬節の後半の歩みが始まります。レント前半の自分自身を振り返りつつ、主イエスの復活という希望を前に見据えながら、日々を過ごしてまいりたいと、気分も新たにさせられました。
 
そのようななかで、本日与えられた旧約聖書の言葉に、思わずギョッとさせられました。預言者エレミヤの叫びというものをダイレクトに受け取ったからです。このエレミヤの叫びに先立って、神はエレミヤに告げました。
 
エルサレムの通りを行き巡り
見渡して知るがよい。
町の広場で探せ。
一人でも見つかるだろうか
公正を行う者、真実を探求する者が。
もしいるなら、私はエルサレムを赦そう。
ところが、「主は生きておられる」と
言っても
実は、彼らは偽って誓っているのだ。(エレミヤ書5章1~2節)
 
ここに、自分自身を偽り、正当化して生きようとするエルサレムの民たちに対して、赦しなど与えられないのだという神の思いを聴き取ることができます。
 
それに対してエレミヤは、本日の旧約聖書の言葉として選ばれたひと言を語りました。そして、こう続けます。
 
あなたが打っても、彼らは痛みを覚えず
打ちのめしても、彼らは懲らしめを受け入れず
顔を岩よりも固くし
立ち帰ることを拒みました。(5章3節後半)
 
神の怒りが民たちを襲っても、彼らは気付くどころか、ますますかたくなになるだけです。こうエレミヤは神に返答したのでした。怒りというものは「言うことを利かす」いっときの効果はあるかもしれません。しかし、それはあくまで一時であって、残るのは萎縮と恐れの思いだけです。神の警告を取り次がなければならないそのなかで、打てど響かずの反応を見る空しさみたいなものを、エレミヤのこの言葉から感じずにはいられないのです。
 
このエレミヤと神とのやり取りのなかで、エレミヤは葛藤しながらも、神の言葉をただただ忠実に伝え続けるし、神はエルサレムの民に対して、ご自分と共に歩まない民たちの末路というものを見せることになりました。このことを通して、小事においても大事においても、神とともに歩む民たちが、何を大切にすることが期待されているのかを、後に民は実感することになりました。エレミヤを通して語られた神の言葉を大切にしなければならなかった、その思いです。
 
神は裁きの道とともに、必ず赦しの道を与えておられる方であることは、エレミヤ書の言葉にある通りです。私は思いました。怒りだけをぶつけても物事の解決に至らないときに、神は常に赦しの道をも与えて、怒りを受けることへの恐れから立ち帰ることができるように私たちを取り扱い、導いておられるのだということをです。まさに、レントの途上を歩む私たちひとりひとりが抱くことができる思いなのではないかと、そう思わされたのです。
 
そのために、どんなことにも失敗を繰り返しながらも前を向いて、神とともに歩む者でありたいと願わされました。四旬節後半の初日、そのような思いをもって良いスタートを切りたいと思います。皆さんの一日にも、赦しの主のまなざしが私たちひとりひとりの心を照らしてくださいますように。お祈りいたします。

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