16/03/2023

2023.3.16(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
申命記32章10節
主はご自分の瞳のように民たちを守られた。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネの手紙一4章16節
神は愛です。愛の内にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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四旬節(レント)20日目を迎えました。
本日でレントも折り返し地点です。レントの後半部分、私たちはいよいよ具体的な「受難」を聖書から聴くことができます。イエスが十字架上で負われた苦しみが、何のためであったか。本日の聖書の言葉はそのことを改めて気づかせてくださるものであると、私は受け止めることができました。
 
本日の旧約聖書の言葉にも「瞳(ひとみ)」が登場します。つい最近、3月6日のローズンゲンに示された旧約聖書の言葉は、ゼカリヤ書2章12節の言葉でした。
 
万軍の主はこう言われる。
あなたがたに触れる者は私の目の瞳に触れる者だ。
 
瞳は眼球の中心にあるものであり、光を取り入れ、ものを見るために無くてはならない部分であることは、そのときに申し上げた通りです。神は私たちひとりひとりをそのような存在として大切に守ってくださる。そんな神の思いというものを、私たちは受け取ることができたのではないでしょうか。
 
まさに本日の旧約聖書である申命記32章10節の言葉にある通りです。この言葉は、神が指し示された約束の土地に向かって、40年にわたる苦難の旅路を終えようとしていた時に、イスラエルの民たちのリーダーであったモーセが、40年間を振り返って告げた言葉です。いろいろな苦しみがあったけれど、しかし、神は私たちを本当に大切にしてくださったのだと。そう述懐したのでした。まさに主なる神は、目の瞳のように私たちを思い、そして守ってくださった。これがモーセの人生の締めくくりの言葉として語られました。
 
その言葉に応答するように、本日の新約聖書の言葉は「神は愛です」という聖書の言葉です。この愛とは、数あるギリシア語における「愛」の言葉のなかで「アガペー」という単語が用いられています。まさに、キリスト教の中心思想となったアガペーの愛です。この愛は、自分の利益を差し置いて、向こうにある者の幸いのために示される、いわゆる自己犠牲的な愛のことを指します。
 
この愛を、どのように伝えるか。今から500年ほど前に日本へやってきたカトリック教会の宣教師たちは、大変頭を悩ませました。当時、日本語で愛と言えば、美しいものを眺めては独占したくなるようなことの表現として「愛」という文字が用いられていたからです。ある意味で言えば、アガペーとは対極にある意味の愛でした。
 
そのような中で、神の愛という言葉を「御親さまの御大切」というふうに言い換えて表現したと言われています。つまり神の愛とは、私たちの存在を大切に守り抜いてくださるそのような愛なのだと。それは、私たちにも同様なことをして伝えられました。神を大切にすること、そして神を大切にするからこそ、自分自身を大切にするように、隣人をも大切にすることができるのだと。こうして、相手の尊厳であるとか人権、そして何よりも、神に大切にされている存在として、相手をみることができるのです。
 
そのような神の示された「御大切」は、十字架へ向かう道を進まれたイエスが、私たちを大切に思うがゆえに、自分のいのちを与えられたことに直結します。十字架への道、苦難の道とは、まさに私たちを大切に思われるがゆえの「愛の道」に他ならないと、私は本日の聖書の言葉から改めて思わされ、このことを胸にして一日を過ごしたいと思わされました。
 
どうか、私たちの間で本当に大切にしなければならないことを大切なものとすることができますように。そのあいだに芽生える神の愛によって、私たちが健やかに平安に過ごすことができますように。皆さんの主にある守りと祝福を心よりお祈りいたします。

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