15/03/2023

2023.3.15(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編117編2節
その慈しみは私たちに力強く
主のまことはとこしえに絶えることがない。
ハレルヤ。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二1章3節
私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈しみ深い父、慰めに満ちた神がほめたたえられますように。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

******
 
四旬節(レント)19日目を迎えました。
いよいよレントの期節も折り返し地点を迎えようとしています。昨日は東北教区センターエマオで開講していた「カルトって知ってますか」の最終回でした。1年間講座を担当して、まさか始まったときにはこれほどカルトが世間を賑わすことになるとは思いませんでしたので、本当に驚きつつも、カルトで苦しんでいる多くの方々に視点を置くきっかけともなったのかなと思わされているところです。
  
昨日の講座でも申し上げましたが、教会だって、そして私たちだって「カルトの根」というものを有しているのであって、いつカルト的な言動をしてしまうか分からないと私は思うようにしています。人間とは根本的に「支配をしたくなる存在」であり、それがいわゆる「原罪」というものだと理解しています。そういう理解を踏まえて、聖書を読み、その聖書から聴くとはどういうことなのかについて、黙想を深めたいと思わされます。
 
そういう意味で言いますと、本日の聖書の言葉を通して与えられたテーマは「とこしえなる神の『本質』がほめたたえられますように」ということではないかと私はとらえました。神が神としてあがめられること。その神こそ、私たちひとりひとりに慈しみと慰め、そして真実を与える御方なのだと。その神の本質というものが、私たちのあいだで明らかにされますようにと願い、祈り、私たちは生きていくのだ。そのようにとらえたのです。
 
人間は、神がいなくても自分が神のようになれるのだという悪魔の誘惑に乗せられて、ついには神に背を向けてしまったというのが、アダムとエバのふたりがしてしまったことでした。自分が神のようになれるという幻想は、慈しみや良いものを与える「支配」ではなく、あくまでおのれの願望を追求し、そのために他者を束縛するための支配でした。まさにゆがんだ支配というカルトの本質を人間がゆがんだ瞬間でした。このことを原罪と呼び続けたのだと私はとらえたいのです。
 
神が神とされることの幸いは、その神が私たちひとりひとりのために救い主イエスを与えたことにあります。そのイエスを想うレントの時を私たちが今過ごしているということなのだと改めて思わされつつ、今日の一日を神の真実がほめたたえられますようにと願いつつ、過ごしてまいりたいと願います。どうか、皆さんの一日もまた、神が与えてくださるとこしえの幸いがともにありますように。お祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿