12/03/2023

2023.3.12(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
申命記30章9節
あなたの神、主は、あなたの手の業すべてに豊かな恵みを与えてくださる。
(新共同訳聖書)
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
フィリピの信徒への手紙2章13節
あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神です。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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四旬節(レント)3回目の日曜日を迎えました。
6回ある四旬節中の日曜日も、すでに半分を迎えたことになります。本日は礼拝後に、イースター礼拝のご案内はがきの発送作業をおこなます。着実に春が近づいていることを日々思わされます。
 
さて、本日選ばれた聖書の言葉は、神が私たちの命を用いて、どのようにご自分の御心というものをなそうとされておられるのかについて、改めて考えさせられるものだと私は思いました。
 
私たちは日々、努力というものが求められることがいろいろな場面であると思います。努力することで、ある物事が達成できるときに、えも言われぬ充実感のようなものを私たちは感じ、それが喜びへとつながる。だから努力することは決して無駄ではないということを、私たちはいろいろな場面を通して知らされます。これは紛れもない事実だと私も思います。
 
一方で、どんなに頑張っても、努力しても、思うように事が運ばないということが、私たちの生活にあるのもまた事実です。歯を食いしばって、辛抱と忍耐を重ねながら努力しても、徒労に終わってしまう。そんなときの空しさというものを、私たちはよく知っていると思います。まるで努力が無駄に感じてしまうのです。
 
私は、今挙げたふたつの結果と反応のどちらにも、神の御心というものが十分に働いているのだ。そう思えてならないのです。神は私たちの行動すべてに繁栄をもたらされるとは限らないと思います。では、そういう時に神は私たちの努力を無駄にされるのか。そうではないのです。そういう私たちの徒労を通して、神は大切なことを私たちに教え諭そうとしておられるのではないか。私はそう受け取りたいのです。
 
逆もしかりだと思います。私たちの言動が本当に祝福されたと感じるときに、その祝福を神が与えてくださった。これは紛れもない事実です。だからこそ、そのことをさも自分自身の「手柄」のように受け取って、神に感謝することもなく歩んでしまいそうなときに、神は私たちが思い上がらないように、聖書の言葉と聖霊の助けを通して、私自身に大切なことを教えてくださるのだと、これも真理として私は受け取りたいのです。
 
順境にあっても逆境にあっても、神は私たちの手の業をこうして祝福してくださるのだと信じれば、私たちは過剰に浮かれることもなければ、落ち込むことない生活を営むことができるのではないか。私はそういう生活を是非、神の助けによって歩みたいと心から願わされました。私たちが波風のなかにあっても、私たちを助けるべく、波風のなかを歩んでくださる救い主イエスがおられることを、本日も味わってまいりたいと思います。
 
世界中で行われる主の日の礼拝・集会の一切に、そして皆さんのお働きの一切に、そのような主による祝福が豊かにありますように。お祈りいたします。

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