01/03/2023

2023.3.1(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ダニエル書2章47節
王はダニエルに言った。「まことに、お前たちの神こそ神々の神、王たちの主だ。」
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
使徒言行録26章27~28節
パウロは言った。「アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。」しかし、アグリッパはパウロに言った。「僅かな言葉で私を説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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四旬節(レント)7日目を迎えました。
 
本日の聖書の言葉は、神の言葉を聴いたふたりの王が、面白いほど真逆の反応を示しています。これらの王は、イスラエルの神も知らなければ、救い主イエスのことも知りませんでした。自分たちの神を信じ、何よりも自分の王としての権威を第一にしていたのです。
 
エルサレムの民たちが故郷を追われ、強国バビロニアの捕囚状態にあったとき、これまで当たり前だと思っていた生活が当たり前のものではなくなりました。これまで神が共にいるのは何も意識することなく、当然のこととして受け止めていたユダヤの民にとって、それが当たり前のことではなかったことに気づかされました。
 
コロナ禍のことを思います。あの頃私たちの誰もが思ったこと。それは「当たり前のものが当たり前ではなかった」という言葉です。礼拝できることのありがたみというものを、私たちのそれぞれが感じたに違いありません。しかし、それも慣れてしまえば新鮮さを失い、感謝を忘れてしまうのが、私たち人間なのではないかと思ったりもしています。アフターコロナが叫ばれるようになったこの頃だからこそ、「このままでいいのか?」と思ってしまうのです。慣れてしまうと、ひと所に安住していて良いはずがないのに、それを当たり前のように思ってしまう私があるのです、
 
話を戻しますと、囚われの身にあったユダヤの民にとって、大切にしなければならなかったのは何だったのかということを、年若きダニエルは王の夢解きという出来事を通して明らかにしました。神から言葉を預かり、それを大胆に王に伝えたダニエル。彼は世の中の現実を受け入れながらも、そこに安住することはありませんでした。置かれた場所で、神のなさることを一番大切にしたからこそ、王の夢解きを伝え、その夢解きを聴いたネブカドネツァル王をして、自分が信じていない神を賛美するにまで至ったのでした。ダニエルを通して、どんな状況にも神が神であられるという事実を知らしめたエピソードと言えるでしょう。
 
一方で、対照的な反応を見せたのがローマの王アグリッパでした。パウロが願い続けてきた王への謁見を通して、キリストについて大胆に証しをし、福音を伝えることができました。しかし、アグリッパ王は「私をクリスチャンにしてしまうつもりか」と抵抗します。クリスチャンという言葉は、一種の侮蔑的な呼び方として用いられていたものでした。アグリッパ王は、パウロを通して語られた神の言葉に拒絶反応を示したのでした。
 
ダニエルの時とは違いました。しかし、ダニエルもパウロも共通していたのは、どんな状況にあっても、神によって語られる言葉を第一にしたことでした。折が良くても悪くてもです。自分が置かれたいかなる状況のなかでも、常に神の言葉が与える新鮮さというものを大切にしました。この態度を私も今日を生きる糧として、大切にし続けたいと受け止めることができました。
 
どうか今日の一日が、神を賛美する新鮮さに包まれますように。皆さんの素敵な一日のためにお祈りいたします。

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