07/02/2023

2023.2.7(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書55章10~11節
雨や雪は、天から降れば天に戻ることなく
必ず地を潤し、ものを生えさせ、芽を出させ
種を蒔く者に種を、食べる者に糧を与える。
そのように、私の口から出る私の言葉も
空しく私のもとに戻ることはない。
必ず、私の望むことをなし
私が託したことを成し遂げる。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書15章7~8節
あなたがたが私につながっており、私の言葉があなたがたの内にとどまっているならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。あなたがたが豊かに実を結び、私の弟子となるなら、それによって、私の父は栄光をお受けになる。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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言葉の与える力。
本日の聖書の言葉を通して、こんなキーワードが私の思いに刺さりました。確かに言葉は人間に「生きる力」を与えるものなのだ。普段から私はそのことを、聖書の言葉に求めているわけですが、本当に聖書の言葉に、人を生かす力があるのだろうか。それは「用い方次第」なのだと、最近とみに感じさせられています。
 
少々話題がずれますが、順天堂大学名誉教授の樋野興夫さんが長年提唱してきた「がん哲学外来」というものを知り、それに関わる機会が前任地の教会で牧師をしていたときに与えられました。がんキャリアであった方が教会の門をくぐり、洗礼を受けられ、がん哲学外来が目指すところの考えに共鳴して、「がん哲学外来メディカルカフェ」を立ち上げて、多くの方々が交流できる場をつくられました。その方は一昨年天へ召されましたが、今でもカフェは定期的に行われているとのことです。
 
そのがん哲学ですが、「がんと生きる言葉の処方箋」ということを大切にしています。がんキャリアにとって大切なのは、外科的手術もそうですし、投薬や放射能治療も確かにそうなのですが、「言葉の与える力」というものをとても大切にします。言葉に聴き、その言葉を共有して、互いに励みになるものを得つつ、がんと共に生きるということを大切にしているのです。ですから、カフェに参加している方々は当事者や周囲の人たちも含め、実際は大変なものを抱えながらも、どこかで平安な気持ちにさせられている。そんな姿を間近で接することができたのです。
 
話は戻りますが、聖書という一冊の書物が、人間に生きる力を与えると受け止めている者が、本当にその言葉を人を生かすために用いているだろうか。そんな「聖書の用い方」について、あらためて考えさせられます。「聖書は神の言葉である」という御旗を掲げながら、人を苦しめるための材料として、私たちは用いていないだろうか。神が忌み嫌われることだからと言いつつも、私が忌み嫌っていることに聖書のよろいかぶとをまとって、人を縛り付けていないだろうか。これらは、神の言葉を託された私たちの「解釈と運用」にかかっていると思えてならないのです。
 
本日の聖書の言葉は、神が注がれた言葉がむなしく神のもとに帰ることはない、というものです。神が言葉を与えられるのは、人を生かすために他なりません。それ以外の何物でもないのです。しかし、その言葉が人を苦しめるのです。だから、与えられた言葉を通して、神はこの言葉を通して、私たちをどのように生かす道へと導かれるのだろうかと、じっくりと黙想することは、決して欠かすことのできない営みなのだと、私は感じるのです。
 
そのことを具体的に示されたのが、救い主イエスでした。イエスの言葉につながる。イエスの言葉によって生きる。律法の完成者と自らを表現したイエスが、律法の本質を大切にして私たちに神とつながれていることの幸いを、私たちにご自分の言葉を通して伝えられました。イエスの言葉が私たちの心に、思いにとどまり続けることの幸いです。そのために、イエスは、どこにいてもご自分の代わりに私たちを守る者としての存在、聖霊の力をお与えくださいました。
 
私たちの人生に実を結ばせるイエスの言葉に、私たちは今日もいただくことの幸いを味わっていきたい。そのように願わされた今日の聖書の言葉に感謝して歩みたいと思います。皆さんの一日にも、神様が与えてくださる言葉の幸いがともにありますように。お祈りいたします。

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