05/02/2023

2023.2.5(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
コヘレトの言葉7章14節
幸せな日には幸せであれ。不幸な日にはこう考えよ。人が後に起こることを見極められないように、神は両者を造られたのだ、と。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書6章26節
空の鳥を見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。まして、あなたがたは、鳥よりも優れた者ではないか。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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本日選ばれた旧約聖書の言葉は、現実を物語るものとしては「とてもよくわかる言葉」なのですが、その一方で「とても理解に苦しむ言葉」でもあると、私は思ったのです。
 
人生幸福なことばかりではない、不幸な時もある。そのような私たちの現実というものを知恵者は語ります。そういう意味では、私たちは本日の「幸いな日には・・・」という言葉がよく理解できると思うのです。では、不幸な時にはこのように考えなさい、と言われる理由についてはどうでしょうか。私たちが未来を予測できないために、神が幸いと不幸の両方をつくられたのだと、知恵者は続けて語るのです。
 
不幸をも準備された神という言葉に、ひっかかりを覚えます。神はあえて、いたずらに、私たちの前に不幸を準備されたのだろうか。そう読めてもおかしくないような表現です。そもそも神は、私たちに不幸を与えることを意図していなかったはずです。にもかかわらず、私たちは不幸を味わわなければならない現実を、誰でも迎えます。このことを、どのようにとらえることができるのでしょうか。不幸とは、神との関係性から離れて、神無しに生きようとしたときに起きるものであることを、聖書はアダムとエバによるあの木の実を食べたときの出来事は明らかにしています。不幸は神のせいではなく、私たち人間に責任があるのだと私は考えるのです。
 
私はこのように本日の言葉を受け止めたいと思いました。不幸は私たちのつくった結果であったとしても、その不幸のなかにも、神が私たちとともにいてくださり、私たちが不幸を受け止めることができるように、働いてくださるのだと。不幸のなかにも神がともなってくださるということが、不幸を冷静に受け止め、神の知恵と助けによって乗り越えることができるように備えられた、神御自身の働きなのだと。神に背を向けたアダムとエバに、不幸を提示されつつも、毛皮で衣をつくり、それを与えられたのも神であったことを、私たちは思い起こすことができるのです。
 
不幸のなかにも、いや不幸なときだからこそ、神は私たちとともにいてくださることを、私たちの心に置いてくださるのだと。たとえ生産性がなかったとしても、神は鳥を養い育ててくださっているではないかと、救い主イエスは語られました。汗水たらして一生懸命働泣ければ、人間幸せにはなれないのだという価値観があります。だから、勤勉に働き、少しでも多くの金銭を稼ぎ、裕福に暮らすことの幸いについてさかんに叫ばれます。勤勉に働くことも、経済的に豊かにされることも全然悪いことではありませんし、それが結果として、神が与えてくださる幸いであることも、また確かなことだと私は思います。
 
しかし、たとえ私が不幸に感じることがあっても、神は私たちを見捨てることなどはありえないのだ。神は毛皮の衣を与え、不幸を受け止められるように生きて働いておられるということを、私たちの生きる希望にしたい。これが知恵者の語りたかったことなのではないかと私は受け止めたいのです。
 
今週も主の日がやってまいりました。どうか皆さんの新しい一週間が、順境であっても逆境であっても、皆さんのために働いてくださる神がともにおられることを感じられるような日々でありますように。お祈りいたします。

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