26/02/2023

2023.2.26(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
箴言3章26節
主が罠から足を守ってくださる。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書17章15節
イエスの祈り:
私がお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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四旬節(レント)最初の日曜日を迎えました。レントのあいだ、私たちは6回の日曜日を迎えることになりますが、十字架への道を歩まれたイエスの後を私たちも歩みつつ、私たちもまたその道を歩むことの意味を問いながら、来る復活祭(イースター)への備えをしてまいりたいと思います。
 
十字架への道を歩もうとするときに、イエスというひとりの命が、十字架上ではりつけにさせられることによって、それは私たちひとりひとりの命を守るための生贄(いけにえ)となった。つまり、神は私たちの命を守るために、ひとりの命を犠牲に、それも、最も大切な独り子の命を犠牲にされた。この事実というものをどのようにとらえ、また受け止めることができるのかを歩みながら黙想する。長い歴史のなかで、教会が継承してきた、私たちが40日間にわたって歩む「レントの意味」なのです。
 
そういう意味で言えば、本日の聖書の言葉は、まさに私たちを悪から助け出そうとする神の思いというものを理解すべく、与えてくださった言葉であることを思います。しかし、いつ足を取られるかもしれない私たちの歩みにかかる罠から、私たちの足を守ってくださる神がともにいてくださるという格言(箴言)を知っていたとしても、それでも私たちは罠に足を取られてしまうことが多々あると、私なんか思うのです。神はこの危機のなかで、本当に私を助けてくださるのだろうか。そんなことを思うときに、では、どのようにこの聖書の言葉を理解すれば良いのだろうかと思ってしまいます。
 
つまり、罠にかからせるような悪というものから、私たちは100%解放されることなどないのだと思います。少なくともこの世界で生きている以上は。悪がすべてなくなる時代があるとすれば、それはやがて来る神の御国の時であって、私たちはまだ十字架の道を歩むように、神の御国に向かって、地上を旅する神の民なのだと。そういう旅路を歩んでいる以上、悩みや苦しみというものと向き合いながら、歩んでいかなければならないのだと。
 
本日の新約聖書の言葉であるイエスの祈りは、まさにそのことを物語っています。悪が放逐されるのではなく、悪に遭遇したとしても、その悪から私たちを守ってくださる神への祈りです。イエスはかつて「私たちを誘惑に陥らせず、かえって悪からお救いください」という祈りを教えてくださいました。この世に生きている以上、そのような悪であるとか誘惑というものに人を陥らせるという事実を受け止めなければならないことを、この祈りの言葉が示しているのです。
 
しかし、私たちが苦痛を味わわなければならない時に、神が私たちの傍らにおられてその苦しみを一緒に乗り越えるための力を与えてくださる。このことを希望として私たちが抱き続けることができるように、イエスはご自分の十字架における苦痛を寸前にして、このような祈りを神にささげることができたのだということを、改めて思わされた次第です。
 
どうかこの主の日も、苦しみのなかに立たれ、私たちを見守り、救ってくださる神の恵みというものを味わうことができますように。世界中で行われる礼拝や集会の一切に、神の恵みが豊かにありますように。お祈りいたします。

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