24/02/2023

2023.2.24(金)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書55章3節
私はあなたがたと永遠の契約を結ぶ。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二1章20節
神の約束はすべて、この方において「然り」となったからです。それで、私たちはこの方を通して神に「アーメン」と唱え、栄光を帰するのです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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四旬節(レント)3日目を迎えました。
 
本日の新約聖書の言葉は、使徒パウロによって綴られた手紙の一節です。「この方」とは救い主イエスのことであり、神の約束はイエスによって「然り」、つまり、その通りになったのだと断言しています。イエスが十字架への道を歩まれて、その苦しみをただひとりで担われたこと。その苦しみを経て死を経験したものの、三日目に復活した命をもって、永遠なるものを私たちに与えてくださいました。まさに、本日の旧約聖書の言葉にある「永遠の契約」は、ここに実現しました。
 
まさに四旬節とは、永遠の契約をその通りとさせたイエスを通して、私たちひとりひとりが神に向かって「アーメン(その通りです!)」と告白できる機会なのだと、あらためて思わされます。
 
アーメンと言えば、ひとつ思い出したことがあります。
 
私の前任地時代、教会の礼拝と祈祷会へ頻繁にいらしていたSさんという方がおられました。他の教会に属しておられる方でしたが、家が近所なのと、私の前任地の教会に居心地の良さを感じてか、よく足を運んでおられました。
 
そのSさんですが、祈りのときになると「合いの手」が入ります。前任地の教会では、しばしば「アーメン!」という合いの手が、祈りの際によく聞かれることがありました。しかし、Sさんは違うのです。「その通りです!」と。その告白とも言えるSさんの言葉が、とても新鮮に感じたのを、今でも思い出すことができます。
 
Sさんはご自身の抱えている病のことで、随分苦しんでおられました。平日、仕事から帰宅される前に教会を訪ねられて、今日一日あったことやご自身の生活のことなどをお話になられながら、一緒に祈りのときをよくもちました。そのときも「その通りです!」と祈りの合間に告白されておられました。今は神の御許に召されたSさん。その声だけはしっかりと脳裏に焼き付いているのです。
 
私は、アーメンという言葉に思いを寄せたいと思いました。本当に「その通りです」という思いから、この言葉を発しているだろうか。いや、そうではなく、たとえ「その通りです」とは程遠い、疑いや迷いが自分自身のなかにあったとしても、神がその通りにしてくださるという希望と期待をこめて、神御自身がおられることへの「アーメン」。アーメンを単なる符号記号のように扱ってはいないだろうか。そんなことを思わされるのです。
 
パウロはこの時、手紙の宛先であるコリント教会に対して、再訪問の計画を立てていました。何かと問題の多いコリント教会へ直接赴いて、ひとりひとりを主の言葉によって慰め、励ましたい。そう思っていました。しかし、そこにいたるにも、問題があったようです。パウロは「このような計画を立てたのは、軽はずみだったでしょうか。」(17節)と手紙にしたためています。
 
このパウロの問いかけの背景には、パウロには自分たちの教会を指導する「使徒としての資格などない」と主張する人々の存在がありました。お前ごときに私たちのこれをあれこれ指導する筋合いはないと言ったところでしょうか。少なくともパウロの再訪問に神の御旨を感じられない。「アーメン」と告白できなかったのです。
 
そのことを踏まえて、パウロは救い主イエスによる「然り」、その応答としての「アーメン」について書き綴りました。パウロはコリント再訪問が自分自身の人間的な計画ではなく、本当に神の御心に基づいたものならば、それは然りとなりアーメンと告白できるものであることを、自分自身に言い聞かせながら手紙を書いたのではないか。そんな風に思えてならないのです。
 
パウロだって人間です。間違いだって多々あったことでしょう。だからこそ問いかけました。断言して人々に自分の思いを強要したりはしない。軽はずみなことなのかと問いかけたうえで、神のなさることに希望を託した。そして神に原点回帰し、神から出発する御心に、自分自身の心を沿わせようとした。それが「アーメン」の意味なのかなと思うのです。
 
前述のSさんも、多くの苦しみのなかにありました。「その通りです!」という言葉の背景には、実に多くの悩み苦しみがありました。しかし、神の御心を慰めとして歩もうとされていたSさん。だからこそ、私も大胆に「アーメン!」と唱える者でありたい。そう思わされたのでした。
 
皆さんにとっての一日の歩みが、そのようなアーメンという言葉に支えられ、祝されたものでありますように。お祈りいたします。

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