22/02/2023

2023.2.22(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
エレミヤ書20章13節
主に向かって歌い、主を賛美せよ。
主は貧しい人の魂を
悪をなす者の手から救われた。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書1章46~48節
マリアは言った。
「私の魂は主を崇め
 私の霊は救い主である神を喜びたたえます。
 この卑しい仕え女に
 目を留めてくださったからです。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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本日は「灰の水曜日」です。本日より、救い主イエスのご復活を喜ぶイースター(今年は4月9日)までの日々を、私たちは四旬節(受難節・レント)の時を過ごします。四旬(40)という言葉が用いられるのは、聖書がしばしば物語る「40」という数字が、苦難を意味するものとして用いられるからです。出エジプトにおける荒野の40年、イエスが荒野で断食しつつ、悪魔の誘惑を受けた40日といった具合にです。日曜日を除く40日間の日々、私たちは救い主イエスの苦しみ(受難)の意味を思いにとどめながら、黙想の日々を過ごすことができます。この期節を「レント」と呼ぶのは、古ゲルマン語で「春」を意味することにちなみます。やがて来る命の芽吹きである春を、救い主イエスの復活を重ね合わせながら、その時を待ち遠しさをもって暮らしていこうという、先達たちの思いを受け継いでいると言えるでしょう。
 
十字架への道を進み行く救い主イエスのご受難を思う時に、なぜイエスは十字架の道をただ進まれたのか。それは、私たちのいのちを、神が意図された本来のかたちに回復させるためでした。まさに、本日の旧約聖書の言葉が物語る通りです。本日の旧約聖書の言葉は、預言者エレミヤによる告白の言葉の一節です。神はエレミヤに重大な務めを言い渡しました。神から心の離れていた民たちに、神から預かった厳しい言葉を告げなければならない、そのような任務でした。語れば語るほど、民の心は神から離れていくのをエレミヤは目にします。徒労とも思えるような状況のなかで、エレミヤに嫌気がさしてきます。
 
しかし、エレミヤがなおも語り続けた理由は、神はこれらの民を救ってくださるという強い確信があったからです。もちろん、神の民たちは苦難を経験しなければなりませんでした。俗にいう「バビロン捕囚」における数十年にわたる苦難です。しかし、苦しみの先には解放があり、回復がある。エレミヤによる預言の働きは、そのような神が民たちとともにおられることの明示に他なりません。
 
レントの時を過ごすというのは、そういうことなのではないだろうか。私は思います。私たちの人生の道にも大なり小なり苦しみがある。しかし、苦しみの先にはかならず解放があり回復がある。そこにいのちの尊さと救いがあるのだと。神はマリアのような仕え女にも、救い主のいのちを宿した事実は、大きな戸惑いの渦中にあったマリアに解放の思いを与え、自分の身に起きたできごとを受け入れるに至らせます。まさにマリアの回復がここにありました。
 
今年のレントは、何を思い、何を心に置くか。そんなことをイメージしながら、四旬節の第1日目を過ごしてまいりたいと思います。皆さんの一切に、解放と回復を与える神の守りと祝福がともにありますように。お祈りいたします。

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