16/02/2023

2023.2.16(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ヨナ記2章3節
苦難の中から私が主に呼びかけると
主は答えてくださった。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書12章7節
イエスの言葉:
それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れることはない。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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髪の毛一本まで残らず数えてくださる神。
 
イエスによる、大変有名な言葉です。おそらく皆さんのなかにも、幾度となくこの言葉を耳にされた方がおられることと思います。どんなに些細なことでも、それをしっかりと覚えてくださっている神。それは決して、事細かなところまで、重箱の隅を突っつくような、もしくは監視の目を光らせている神という意味ではありません。どんなにちっぽけな存在とみなされていても、神は私たちを見離したり、見捨てたりはしないのだということを、イエスは伝えたかったのでした。
 
本日の聖書の言葉に触れると、こどもさんびかの『どんなにちいさいことりでも』という歌を思い出します。
 
「どんなにちいさい ことりでも かみさまは そだててくださる」って
イェスさまの おことば。
「なまえもしらない 野のはなも かみさまは さかせてくださる」って
イェスさまの おことば。
「よいこになれない わたしでも、 かみさまは あいしてくださる」って
イェスさまの おことば
 
この歌詞は、マタイによる福音書6章に基づくものですが、言わんとしていることは、本日の新約聖書であるルカによる福音書12章に相通じるものです。いずれも「山上の説教」「湖畔の説教」として知られている、イエスによる言葉集の一節です。(ちなみに、この賛美歌の作詞者である菅千代さんは、仙台で長年幼児教育にあたり、また多くの教育者を養成された方です。)
 
ここに、イエスの人間観というものを見ることができます。私たちの目で見る、ものの大小、強さ弱さ、多さ少なさ、高さ低さというものに、イエスは決して振り回されることなく、惑わされることもなく、たとえ一本抜けても気が付かないようなそんな存在にまで、ご自分の関心と愛を注いてくださる。それだけ私たち人間の存在は価値あるものなのだというものです。最近あまり聞かなくなりましたが、しかし今もその風潮は根強く残っている「勝ち組・負け組」などというものとは一切関係のない、イエスの人間観がこの言葉に込められているのです。
 
本日の旧約聖書は、とても面白いなと私は感じました。あのヨナ記の一節だったからです。ヨナは神から預言の務めを与えられたものの、その重さに逃亡を図った最中に、船上で大嵐に遭います。ヨナは悟りました。自分をいけにえにささげれば嵐は静まると。こうして船に乗っていた人々に頼んで、自分を海に放り出しました。嵐は静まった代わりに、ヨナは海のなかに潜ってしまいます。しかし、神はヨナを魚によって吞み込ませ、ヨナは三日三晩魚のなかにとどまった。なんともユニークななかに、神がご自分の大切な人間たちを守り抜かれる。そんな神の愛を知る物語です。
 
逃げて、なおも神の愛が追いかけてくる。その愛に圧倒されて、その愛の海に潜りゆく時に、神は必ず、私たちの苦しみを受け止めてくださるのだと、私は本日の聖書の言葉を受け止めることができました。そういう神に守られて、今日という一日を歩むことのできる幸いを味わいたいと思わされました。
 
どうか、皆さんにとっても、そのような一日でありますように。心よりお祈りいたします。

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