15/02/2023

2023.2.15(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書29章14節
それゆえ、私は再びこの民を
驚くべき業によって驚かす。
この民の知恵ある者の知恵は滅び
悟りある者の悟りは隠される。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書15章31節
群衆は、口の利けない人がものを言い、手の不自由な人が治り、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を崇めた。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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本日の旧約聖書の言葉と新約聖書の言葉をつなぐのは「驚き」というキーワードにあると、私は受け止めました。何に驚くのでしょうか。神の御業によって人々は驚くのであると、本日のいずれの聖書にも記されています。
 
なぜ私たち人間は驚くのでしょうか。それは、私たち人間ではとうてい想像もつかないようなことが起こるからです。私たちの知恵や力ではどうしようもできないことが、非常に不思議な方法で進んでいく。私自身もそのような場面に何度も遭遇したことがありましたし、そのたびごとに、神は生きて働いておられることを実感する。そんなことを実感してまいりました。
 
しかし、こういうことは一般的に、世の中ではなかなか受け入れてもらえないのが現実かもしれません。「宗教じみている」「現実離れしている」「たまたま偶然だ」と言われることもしばしばあるのではないでしょうか。無理もありません。そのような「神の御業」というものを利用して、人間の所業をさも神の導きのようにして他者をだますカルトのような存在が世の中を騒がせば、神の御業というものはどうしても隠されてしまうからです。
 
しかし、本日の旧約聖書の言葉であるイザヤ書の一節には、そのことが非常に端的に物語られていることに、大きな興味深さを覚えます。預言者は語ります。「この民の知恵ある者の知恵は滅び 悟りある者の悟りは隠される」と。知恵ある者の知恵が滅ぶとは、私たち人間の知恵には限界があると、読み替えることのできる言葉と受け止めました。神の知恵による不思議な御業を前にしては、私たちの知恵など取るに足らないのだと。そういう意味で「滅」という言葉が用いらているのだと。
 
逆に、神の知恵や導きを信じて生きようとするということは、なかなか世の中に受け入れられない場合もあるというのは、先に述べた通りです。何やら怪しいものとしてしか見られることがないのです。しかし、私たちは「悟る」ことができるのです。たとえ人が理解してくれなかったとしても、神は必ずご自分の知恵と力をもって、その御業というものを私に示してくださるのだということをです。そして、その悟りというものは、その意味が明らかにされ、自他ともに驚くその時まで、大切にされ続けていく。その姿こそ「隠される」ということの意味なのではないか。私はそのように思わされました。
 
なかなか世に受け入れられない、私たち人間の限界を超える神の御業が明らかにされることによって、人々は大きな驚きを得ました。イエスの時代、イエスによって病気が癒され、あらゆる悩み苦しみから解放されていった人々は、その驚きの結果、神を崇めたというのが、本日の新約聖書の物語るところです。つまり、神を崇めるに至る驚きというものは、私たちひとりひとりの心や思いというものを、ある種の縛りから解放する力を持っているのだということを、私たちにささやかに、しかし確実に知らせていることを、本日与えられた聖書から受け入れたいと思わされた次第です。
 
悩みあるところにこそ、神の御業が豊かに現れ、私たちはそのことで驚き、喜ぶことができるのだと。そんなことを希望にして、今日という一日を歩んでまいりたいと願います。皆さんの一日に、そのような神の御業が、ともに豊かにありますように。お祈りいたします。

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