14/02/2023

2023.2.14(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編73編1節
神はなんと恵み深いことか
イスラエルに、心の清い者たちに。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書5章8節
心の清い人々は、幸いである
その人たちは神を見る。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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心の清い者
この言葉が、本日の旧約聖書と新約聖書の言葉を貫くテーマです。
イエスは言いました。心の清い者は幸いであると。そして、詩人は歌いました。心の清い者にとって、神はなんと恵み深い存在なのだろうかと。
 
本日のドイツ語原文を見ていましたら、旧約聖書詩編73編1節の「神は何と恵み深いことか」という言葉に、Trostというドイツ語が用いられていました。こういう風に訳することができます。「神は慰めである」。なんともシンプルで、かつ分かりやすい訳であると私は感じました。つまり、なぜ神に対して私たちは恵み深いと感じることができるのか、ということを考えたときに、そこには大きな慰めというものが神から与えられるからと、私たちは受け入れることができるのです。
 
正直者は馬鹿を見るという言葉があります。世の中、正直であることが道徳的に教えられたとしても、それでも正直でいることによって、この世の中を生き抜くことの困難さというものを、こういうことわざは語っているのだと思います。実際に正直であることによって、かえってひどい目に遭うことなど、私たちの世界ではいくらでもあると思うのです。
 
本日の聖書の言葉に登場する「心の清い者」とは、まさに正直者という言葉に言い換えることのできるものだと私は捉えました。心のうちにある良いものも悪いものも、決して包み隠したり蓋をすることなく、自分自身の真実の姿として受け入れようという態度のことなのではないかと、私は思うのです。昨日のローズンゲン黙想でも、神の御前に自らを正直にさらけ出すことの幸いについて黙想したわけですが、それに続く本日の黙想なのかなと思ったりしています。
 
たとえ世の中で、正直さゆえに馬鹿を見るようなことがあっても、それでも幸いなのだというイエスの言葉に、私は心を傾けたいと思いました。人は私に馬鹿を与え手も、神は私に慰めを与え、幸いをあふれんばかりに注いでくださるのだと。私はそのことを見るからこそ、たとえ馬鹿を見ても、なおも生きる幸いというものを見い出すことができるのだと。そんなことを思わせる、本日の聖書の言葉に感謝して一日を歩みたいと願わされました。
 
皆さんの一日に、そのような神の慰めと幸いが豊かにありますように。お祈りいたします。

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