10/02/2023

2023.2.10(金)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書52章7節
なんと美しいことか
山々の上で良い知らせを伝える者の足は。
平和を告げ、幸いな良い知らせを伝え
救いを告げ
シオンに「あなたの神は王となった」
と言う者の足は。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙6章15節
平和の福音を告げる備えを履物としなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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本日の旧約聖書と新約聖書をつなぐキーワードは「足」です。

平和の良い知らせ(新約聖書では「福音」)を伝える者の足は何と美しいのだろうと、神から言葉を預かった預言者は語りました。そして、イエスが救い主として私たちに与えられてからは、その足に履かせる履物の大切さが、使徒パウロによって告げられています。
 
私事になりますが、私は靴底がすぐにすり減ってしまいます。体重が重いのと、足のバランスが悪いからです。特に外側がすり減りやすいのですが、靴底をそのまま放っておくと、しだいに股関節が痛くなってきます。ですから、ちゃんとした靴底の靴を履くのが、いかに足にとって大切なのかということを、いつも思わされています。
 
つまり、健康な体でいるためには、履物から整えなければならないと言う私の経験を通して、いくら神がイエスを通して救いを私たちに与えてくださった、その福音の言葉を身に着けていても、それを伝えるための足や履物が整えられていないと、福音を福音として伝えることができないのだということを、あらためて実感させられます。
 
もちろん、ここでいう足や履物は、あくまで「比喩」としてとらえたいと思います。足で稼げという言葉があるように、実際に足を使って伝道に励むことを奨励するような聖書の言葉のようにも思えますし、実際にそうなのかもしれませんが、こういう言葉を利用して、信者を働きアリのように酷使させるようなカルト宗教の姿勢とは、一線を画す必要があると私は考えています。あくまで足や履物が、私たちの霊的健康に欠かすことのできないものなのかということを、わかりやすく解説されたものなのだと、私は受け止めたいのです。
 
最近、寒くなって少しさぼり気味のなっているのですが、ここのところ夜のウォーキングを楽しんでいます。歩くことで体中に酸素を送り込んで、脳もリフレッシュされたような気持ちにさせられます。歩き始めはだるさを覚える足も、歩いているうちに楽になっていくのを感じることもあります。そして翌日の目覚めも良く、足にも痛みが走ることがありません。ここのところ少しさぼり気味と申し上げました。そうなりますと、やはり足が重だるく感じるのです。ですから、少しでも歩くことを大切にしなければならないんだと、50歳を目前に控えた者として痛感させられるのです。
 
救いの良い知らせと平和を伝えることも、同様であると感じました。毎日少しでも良い。平和を心に置き、そのために与えられた言葉をつむぎつつ、地を踏みしめながら一日の歩みをなすことの幸いについて思いを巡らせたいし、巡らせた結果、そのことを心の柱にして一日を生きたい。そのように思ったのです。
 
そんなことを想いながら、今日の一日、そして週末に向かう者でありたいと願わされます。私事、明日土曜日は信州松本で、日曜日は東京でご奉仕の機会をいただいています。それこそ与えられた足を平和のために用いてまいりたいと思います。
 
皆さんの新しい一日が、平和の道を踏みしめる幸いに包まれますように。お祈りいたします。

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