08/01/2023

2023.1.8(日) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
申命記15章10節
彼に与えるときに惜しんではならない。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書6章38節
与えなさい。そうすれば、自分にも与えられる。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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本日選ばれた旧約聖書の言葉である申命記15章10節に書かれている「彼」とは誰のことでしょうか。それを知るためには、私たちは15章に書かれていることに注目することができます。申命記15章の冒頭から言及されているのは、「負債の免除」に関する律法規定です。
 
それによると、隣人や同胞に対して貸した債務については、7年ごとに来る安息年の終わりに帳消しにすることと、たとえ負債免除があったとしても、貧しい兄弟のために貸すことを物惜しみするようなことがあってはならないと言った内容のことが記されています。
 
つまり、彼とは債務を負わなければいけないほどに、与えられることを求めている人のことであることがわかります。そのような求めに対して、どのような態度をもって接することが神の民としてふさわしいことなのか。そのようなことを考えさせられます。
 
実は、本日の聖句である10節には続きがあります。
そのことで、あなたの神、主は、あなたのすべての働きとあなたのすべての手の業を祝福してくださる。
とあります。つまり、貸す側にとって、自分の財産が目減りするのではないかと心配する必要はどこにもないのだよと、この律法の言葉は語っているのです。貸した分に相当する、いやそれ以上の祝福というものを、神は与えてくださるのだからと。かえってあなたは豊かにされるということを、神は約束しておられるのです。
 
本日の新約聖書におけるイエスの言葉も、まさに上に掲げた律法の精神に通じるわけですが、私はこの聖書の言葉に聴くたびに、ある物語を思い出します。ご存知の方も多くおられるかもしれません。『おおきな木(原題:The Giving Tree)』という、アメリカの作家シェル・シルヴァスタインによって書かれた短編物語です。
 
リンゴの木と少年は友達であった。ともに遊び、心を通わせていた。しかし少年は大人になってゆきお金が必要になる。木は「私の果実を売りなさい」と言う。少年は果実をすべて持っていった。しばらくして、大人になったその子は家が必要になる。木は「私の枝で家を建てなさい」と言う。その子は枝をすべて持っていった。また時が経ち、男は「悲しいので遠くへ行きたい」と言う。木は「私の幹で舟を作りなさい」と言う。男は幹を持っていった。時が経ち、男は年老いて帰ってきた。そして「疲れたので休む場所がほしい」と言う。木は「切り株の私に腰をかけなさい」と言う。男は腰をかけた。木は幸せであった。
 
私はこの物語に初めて接した小学生の頃、この少年がことあるごとに、リンゴの木を利用し続けた。そんな身勝手さに腹を立てたものでした。それなのに、どうしてリンゴの木は「幸せであった」と言えるのだろうか。そのことがずっと謎でした。しかし、本日の聖書の言葉である「与える者の幸い」というものに出会ったときに、そこに究極の祝福があるということを知らされました。たとえ自分が損をすると思えるようなことがあったとしても、回りまわって神は祝福してくださるのだと、だから心配ないんだと。。。
 
正直に言えば、確かに自分のものが減らされていくことに不安がありますし、出し惜しみしたくなる気持ちが顔をよくのぞかせます。貸すことで、それこそ貸しをつくって恩を着せようとする自分自身があることを発見します。しかし、本当にそれで良いのだろうか。私の心に神が問いかけているような気持ちにさせられるのです。大丈夫!私はあなたを必ず祝福して、あなたが豊かになるようにするのだから。だから手を広げなさいと、神が語り掛けてくださる。その声に応えたいと今日の聖書の言葉を通じて、改めて思わされました。
 
今日は安息日。神が私たちが負っているすべての負債を帳消しにして、祝福してくださる一日。世界中で祝われる主の日の礼拝が、皆さんにとって豊かな経験のときとなりますように。心からお祈りいたします。

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