30/01/2023

2023.1.30(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ヨシュア記24章17節
私たちの神、主こそ、私たちの歩んだすべての道で、私たちを守ってくださった方です。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書28章20節
私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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本日の新約聖書の言葉は、マタイによる福音書のフィナーレを飾る、イエスによって語られた言葉です。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。この言葉こそ、神が預言者イザヤを通して語られた、そして神の使いを通してマリアの婚約者であり後に夫となるヨセフに語られた「インマヌエル(神は私たちと共におられる)」という言葉の実現でありました。マタイによる福音書はまさに、インマヌエルからはじまりインマヌエルに終わる、そのような書物と言って間違いありません。
 
神が私たちと共におられるのは「世の終わりまで」であると、救い主イエスは語りました。決して見捨てたり、見離されたりすることのない、イエスの私たちに対する強い決意と保障の言葉を、私たちは聴き、それをいただくことができるというのです。私たちがたとえ出来の悪い、同じ過ちを繰り返してしまう「劣等生」であったとしてもです。
 
話題は変わりますが、昨日、私はあるテレビの再放送番組を観ていました。「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組に登場したのは、「ホルモンの神様」と呼ばれている、ある方の話でした。幼い頃に神様は、事故で右指を失いました。普通の人と違う、そのことで社会でみんなと同じように扱われることがなく、まさに「ホルモン(放られた者)」として生きていたと、その方は振り返ります。
 
しかし、神様はある時から人生が一変します。ホルモンをひとりでも多くの人に、美味しく食べて欲しい。そんな思いからまさにホルモンの下処理から調理方法にいたるまで情熱を注いだのだろうです。その結果、評判が評判を呼んで、その方のお店は、今では数時間待ちが当たり前と言われるほどの大人気店となり、今日に至っているとのことでした。
 
そんななかで、私が興味深く観たのは、神様から多くを学びたいとその方のもとを訪れる多くの職人たちのなかで、ひときわ出来が悪く、気も利かず、やる気があるのだろうかと思えてしまう若者が登場します。神様は、その若者に注意をします。しかし、恫喝するようなことは一切ありません。ただ淡々と、言うべきことを言い、丁寧に教えて、失敗を恐れるなと勧め、そして見守る。そのことを繰り返すだけです。そうしているうちに、若者は大切なことを、ひとつ、またひとつ積み重ねていくのが誰の目から見ても明らかになっていきました。その姿を、神様はほほ笑ましく眺めている。そんなシーンが放映されていました。
 
神様は言います。自分が捨てられた者、つまり「ホルモン(放る者)」としての経験があるからこそ、捨てないんだ。放らないんだと。私はここに、この方の仕事の流儀というものを見ました。まさに「インマヌエル」ではないか。そう私は思ったのです。ホルモン焼きが好きな私ですが、そんな神様がおられるとはまったく知りませんでした。そして、その神様が語る言葉に、私はイエスのそれが重なって見えたのでした。
 
私たちの行くすべての道を守られる神は、こうして、私たちの迷走をじっくりと見守ってくださっているのだと。出エジプトにおける40年の旅路を見守られた神について語られた、本日の旧約聖書の言葉から聴くことのできるメッセージです。そのような神が、私たちと共におられると思うだけで、どれだけ慰めになるだろうかと思わずにはいられない本日の聖書の言葉です。そんな神に見守られながら、今日という一日を歩むことのできる幸いに、心から感謝して歩みたいと願わされました。
 
皆さんにとっても、今日の一日がそのような神によって見守られた幸いに包まれた一日でありますように。心よりお祈りいたします。

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