14/01/2023

2023.1.14(土) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編139編16節
胎児の私をあなたの目は見ていた。
すべてはあなたの書に記されている
形づくられた日々の
まだその一日も始まらないうちから。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書6章25節
自分の命のことで思い煩うな。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

******
 
自分の命のことで思い煩うな。
本日の新約聖書の言葉である、マタイによる福音書6章25節の言葉は、イエスによって語られた山上の説教における一節です。ローズンゲンに示されている部分は聖句の一部ですが、詳しくはこのようなことがイエスによって語られていることが分かります。
 
自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また体のことで何を着ようかと思い煩うな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。
 
命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。
命を保つためには食べ物が必要だし、身を寒さや暑さから守るためにも衣服はやはり必要なものです。実際に、明日食べるものがなければ命が絶えてしまうような現実にさらされている方々がおられることも事実です。一枚の毛布が寒さから命を守るときに、それすら無いことに思い悩んでいる人々がいることを思えば、「思い煩うな」という言葉を目の前にして、私たちはその言葉に、心から受け入れて歩むことができるのだろうかと、それこそ思い煩ってしまうのではないだろうか。それが私たちの現実なのだと。
 
そのような現実を前にして、では私はどうすればよいのだろうか。本日の聖書の言葉は改めて神の言葉をどのように受け入れることができるのだろうかと、深く考えさせられます。
 
本日くじによって選ばれた旧約聖書の言葉は、神は私を胎児である頃から、いやそれよりも前から私という存在をすべてご存知であるという告白の詩です。この詩の示すところとはいったい何か。神が私たちの命を与えてくださる方なのだから、その命がどのように用いられることが祝福につながるのか、神はすべてご存知なうえで私たちと共に生きようとされておられるのだと、私は受け止めました。
 
つまり、命を保たせることで思い煩ってしまうという世界の現実を踏まえて、その根源とは一体何なのだろうかと考えたときに、それは、私たち人間の側にある「命の誤用」から来るのではないだろうか。そのように感じたのです。
 
食べ物のことで思い煩うことは、それすなわち貧困と大きく関係しているとも言えるでしょう。貧困の原因は富む者が富み、貧しくされる者が貧しくされるような社会システムにあって、そのような社会システムはまさに人間によってつくり上げられているわけです。まさに、私たち人間の命の誤用によって、貧困が起き、飢餓が起き、そして命の心配があるのだと。それは着るものについても、同じことが言えるのだと私は思うのです。
 
つまり、イエスが「思い煩うな」と言ったのは、思い煩ってしまうような現実があるなかで、そんなこと心配するなよ、神様が全部守ってくださるのだからというメッセージにたどり着く前提として、神様が全部守ってくださるというメッセージを無視し、もしくは利用して、人間が自分の欲のために人が受けるものまで搾取することで貧困をつくり出し、思い煩うような世界を導いてしまっているのではないか。そんな警告の言葉のようにも思えてならいのです。
 
どんなに神が命を与え、それを守ってくださっていても、私の心が命の用い方をミスリードしてしまっているのでは、それはあまりにももったいない話なのだと。だからこそ、思い煩いの原因をつくっている私たちの態度というものがどのようなところにあるべきなのかを、今日も与えられた命の時間を費やすなかで、是非黙想しつつ歩んでいきたいと願わされました。
 
一週間も終わりを迎えます。この7日間にあった出来事を振り返りながら、命を与えてくださった神に感謝しつつ、週の初めを迎えるための備えをすることができますように。皆さんの一日が神にあって幸いなものでありますように。お祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿