13/01/2023

2023.1.13(金) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書44章8節
恐れるな、おびえるな。
昔から私はあなたに聞かせ
告げてきたではないか。
あなたがたは私の証人。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二5章20節
神が私たちを通して勧めておられるので、私たちはキリストに代わって使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神の和解を受け入れなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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神の証人・キリストの使者。
本日選ばれた聖書の言葉に示されているのは、私たちがキリストによってこの世界に遣わされて、神を証しする者とさせられているというメッセージです。そう考えますと、この言葉はとても重みのあるものだと強く感じさせられたというのが、本日の聖書の言葉から受けた第一印象でした。
 
さて、私自身キリストから遣わされた使者という認識と自覚というものがあるだろうか。そんなことをあらためて考えさせられます。神がくださる良いものを存分に受けているという認識はあるのです。しかし、その神がご自分の良いものを私だけが独り占めするのでなく、その良いものを分かち合いなさいと。そのことを証しする者として遣わしておられるのだと。少なくとも本日の聖書の言葉は、そのことを明確に告げていることがわかります。
 
自分のことを伝えてくれと誰かにお願いするときに、お願いする側にとってはお願いする人に対して、よほどの信頼が無い限り、お願いすることはないだろうと思うのです。そういうことを考えますと、私たちにご自分を証しするように託しておられる神は、私たちに対して深い信頼の念を抱いておられるということを想像するのです。
 
私は果たして、神の信頼に足る人物なのだろうか。そんなことを考え始めたら、とても自分はそんな存在ではないことを思わされます。信頼されるというのは、そこに込められた期待とか、もし失敗したらどうしようとか、そんなことも含めて考えてしまいますから、それは結構なプレッシャー(重圧)だったりするのが、この世界の現実なのかもしれません。
 
しかし、神は本日のイザヤ書の言葉にもありますように。神から信頼を受け、ご自分の証し人として生きることに「恐れるな、おびえるな」と告げておられるのです。これは自信を持てという意味ではありません。私があなたと一緒にいて、あなたを全面的にサポートし、助けるのだから、安心して証人としての人生を送りなさい。たとえその証しがつたないと思えたとしても、神が私と共におられる。このひと言だけで十分なような気がするのです。
 
先日、ある医師の方と夕食を共にしました。その方は小学生時代、同級生に牧師のご子息がおられたのだとか。その同級生のお宅は、山のふもとの真っ暗なやぶの中を突き抜けた先にあったそうなのですが、日も暮れると、その道を通るのはとても怖さを覚えるようなところだったのだそうです。怖くないのかと、その方は同級生である牧師のご子息に尋ねたんだそうです。その時に返ってきた言葉が、「神様がいるから大丈夫!」のひと言だったのだそうです。
 
その医師の方はおっしゃいます。子ども心ながらに、信仰ってすごいんだなと。医師になって人の命を預かる仕事をして、信仰がその人を支えることを実感することがたびたびあるらしいのですが、そのたびに、少年時代のその出来事を思い出すんだそうです。ちなみに、その牧師のご子息という方は、やがて牧師となって、現役の神の証し人としてその日々を過ごしておられます。
 
神の信頼を受け入れること。それすなわち、本日の新約聖書の言葉にある「神の和解を受け入れる」ことなのだと思わされました。私たちの資質いかんにかかわらず、神は私たちを信頼して、ご自分の証し人・使者としてくださるのだと。このことを大きな励みとして、今日の一日を歩んでまいりたいと思います。皆さんの新しい一日に、皆さんを信頼してくださる神が、ともにおられることの幸いを与えてくださいますように。お祈りいたします。

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