11/01/2023

2023.1.11(水) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編6編10節
主が私の願いを聞き
主が私の祈りを受け入れてくださる。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書6章6節
あなたが祈るときは、奥の部屋に入って戸を閉め、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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隠れたことを見ておられる父
 
私は、本日の聖書の言葉のなかで、このひと言に突き刺さるものを感じました。祈りという、私たちには決して見ることのできない空間のなかでなされる神との交わりのなかで、神が私たちの心をもすべてご存知なうえで、私たちの祈りというものを聴いてくださる方であることを、あたらめて考えさせられました。
 
私自身、祈るときに純真な心や思いをもって神に向くことができないときが多くあります。祈っているうちに、心の中にある雑念のようなものが支配することがあるのです。自分を憎んでいる者ののために祈りなさいという、イエスの言葉に従って祈ろうとしても、その祈りの言葉が嘘くさく思えることもあります。まさに、私の心にうちに隠していることまで、神にはすべて見抜かれていると思ったうえで、神に祈りの言葉をぶつけることがしばしばなのです。
 
しかし、祈りとはそういうものなのだろう。私は神を御前にして、何も恰好つける必要など全然ないと思うのです。美辞麗句を並べたとて、心の中をすべてご存知である神が私の祈りに付き合ってくださるのであれば、自分の今ある、素直な気持ちというものをありのままに神に聴いてもらったほうが、神はそういう祈りに応えてくださるのではないかと感じさせられています。
 
本日の新約聖書の言葉はイエスによって語られた山上の説教の一節で、いわゆる「密室の祈り」の重要性というものを教えてきた根拠となる聖書の言葉です。しかし、この「密室」とは何かと考えたときに、それは文字通りの密室、つまり誰にも見られないところでいう意味もさることながら、私の心という「密室」をも指しているのではないだろうか。そのように私は受け止めました。
 
私の心は誰にも知られることのない密室と言えるでしょう。他者には見られることのない私の密室です。しかし、その密室をただひとり、ご覧になることのできる方が私とともにおられるのです。それが、私たちの祈りを聴いてくださる神なのだと。密室の祈りを聴いてくださり、その祈りに報いてくださる神がおられるという本日の新約聖書の言葉は、私の心をすべてご存知である神のことを、私たちに明らかにしているのだろうと、私は信じ、受け止めたいのです。
 
神にこんなことを知られてしまって良いのだろうかと思えるような私たちの心のうちを、包み隠さず神に祈るときに、神はそういう祈りに込められた私の思いに、必ずなんらかの形で応えてくださるのだと。たとえそれがよこしまな思い、憎しみやうらみを込めた思いのなかで祈る祈りでも、神は必ず聞いてくださる。そして、神が一番良いと思える方法を通して、私の心にそのことを明らかにしてくださるのだと。
 
私の祈りを受け入れてくださるという本日の詩編の言葉は、私たちの要求通りに神がそれを叶えてくださるということではなく、私たちの祈る時に起きるさまざまな負の感情すらも、神はすべて受け入れてくださったうえで、神が私にとってのベストというものを提示されることで、祈りに応答されるのだと私は受け止めたいし、そういうところから支えられた祈りというものを、神に打ち明けていきたいと願わされました。
 
今日も、御言葉に聴き、黙想し、祈るひと時が与えられたことを感謝しつつ、そういうところから一日を生きる活力というものをいただいてまいりたいと思います。皆さんの祈りに込められた心の奥底までもご存知である神が、皆さんの一日を豊かにしてくださいますように。お祈りいたします。

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