30/12/2022

2022.12.30(金) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
出エジプト記20章9~10節
六日間は働いて、あなたのすべての仕事をしなさい。
しかし、七日目はあなたの神、主の安息日であるから、どのような仕事もしてはならない。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マルコによる福音書2章27節
安息日は人のためにつくられた。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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2022年もあと残すところ2日となりました。
クリスマス行事がひと通り終わり、つかの間のクリスマスの余韻を楽しんでいます。世の中は年の瀬で大忙しと言ったところでしょうが、そして私もしなければならないことがあったりもするのですが、この数日間は、とにかく休養を取ることにつとめました。眠さに任せてとにかく眠りました。とにかくのんびりとすごしたこともあり、気持ちがとても楽になったような気がしています。
 
忙しくても休むことの大切さ。
本日与えられた聖書の言葉は、まさにそのことを思い起こさせると私は実感しました。いわゆる「安息日規定」と呼ばれる十戒の言葉が、旧約聖書から選ばれた本日の御言葉です。
 
安息日は何のためにあるのでしょうか。それはずばり「休むため」です。休むことで、心身に英気が養われるのは誰でも知っていることです。そうすると、日々訪れるさまざまな出来事に対して、健全に対応することができるのだと。そして、命の尊さであるとか命があることへの充実感を、心から感じることができるのだと。
 
休まないと疲れますし、眠いときに冷静な判断をくだすことはなかなかできない。ちょっとしたことで一喜一憂し、神経がたかぶるがゆえに様々な問題を引き起こす原因になったりするのだと、自分自身のことを振り返っては痛感させられます。
 
よく言われることに「夜にメールの類を送るな」なんていうことがあったりします。夜に感情任せに書いたメールを、ひと晩寝かせて朝起きてからもう一度見直したときに、ああ、送らなくて良かったという経験を私はよくしました。疲れているときにほど、重要な話題は避けた方がよいという教訓です。だから、休む必要があるのだと、私は思うのです。
 
本日の新約聖書の言葉は、安息日は「人のためにある」というイエスの言葉ですが、その後に「人が安息日のためにあるのではない」と続けています。つまり、安息日という制度を厳守するあまり、人が疲れてしまったのではまさに本末転倒だというのです。
 
安息日という言葉が、週に一度の出来事であると私たちはとらえますし、もちろん聖書に書いてあることですから、それは間違いのないことです。しかし、安息日の意味と本質を私たちが知ろうとするときに、私たちは「休むこともまた、神が私たちのために与えてくださったプレゼントである」ことを、何よりも大切にしたい。そして、神に与えられた命に感謝しつつ、年末年始のときを過ごしたい。私はこの数日間の休息を通して、ますますそんなことを思わされた次第です。
 
ただ、締め切りを控えた仕事もありますので、また明後日の礼拝の備えもありますので、そろそろエンジンをかけなおしたいと思います。どうぞ皆さんの年末が、あわただしいなかにあっても、いっときの休息ゆえに元気が養われますことを、心よりお祈りいたします。

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