27/12/2022

2022.12.27(火) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
エレミヤ書31章28節
かつて、引き抜き、壊し、破壊し、滅ぼし、災いをもたらすために彼らを見張っていたが、同じように、建て、植えるために彼らを見張る――主の仰せ。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヤコブの手紙5章7節
それゆえ、きょうだいたち、主が来られる時まで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待ちます。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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クリスマスとは、救いのゴールではなく、まだスタート地点に立ったに過ぎないのだ。
 
本日の聖書の言葉を通して、改めて感じさせられたことです。私たちは、救い主イエスが私たちのもとへやって来るのを、クリスマスの祝いを通して知り、感じることができているのですが、しかし、イエスの生涯はまだ始まってばかり。これから私たちはイエスの生涯を通して、その救いの業というものを見せていただくことになります。そして、イエスの生涯、ご受難、ご復活、ご昇天、王として再び私たちのもとに来られるその時までです。そういう意味では、私たちへの救いのみ業は、始まってばかりなのです。
 
クリスマスが来たとて、私たちの安心はほんの一時のものかもしれません。1914年、第一次世界大戦が始まって数か月が経った頃、イギリス軍とドイツ軍は戦いを繰り広げていました。しかし、せめてクリスマスの時ぐらいは戦いをやめよう。そういう機運が自然に起きて、互いがクリスマスを祝ったという、信じられない出来事がありました。俗にいう「クリスマス休戦」と呼ばれる出来事です。しかし、そんな出来事も英独両軍の指令者が厳しく禁じたため、再び戦いが始まり、次の年のクリスマスが訪れてもそ、のような休戦がもたれることはありませんでした。
 
クリスマスが私たちに感じさせた平和が本当に訪れるとき。それはもっと先のことかもしれないし、私たちの人生のあいだにそれを見ることが、もしかしたら無いかもしれない。しかし、私たちが神の御業というものに期待しつつ、私たちもまた来るべきあけぼのの光を待ちながら、その時を生きることができるのだと、本日の聖書の言葉はそんなメッセージを語り掛けているような気がしてならないのです。
 
神が与えてくださる平和を、私たちが台無しにしてしまうことが多々あります。しかし、それでも私たちを建てて、植えるために、私たちを見つめてくださる方がおられるということを、是非忘れずに今日という一日を歩みたいと願わされました。本日の新約聖書の言葉であるヤコブの手紙には、収穫を忍耐強く待つ農夫のことが書かれていました。今自分に与えられた務めを淡々となしながら、収穫の時をじっくりと待つ農夫の姿は、クリスマスから始まる救いのドラマを、じっくりと待つことが求められている私たちの理想に相通じるのだと思うのです。
 
どうか、あわただしい年の瀬にあっても、神が私たちとともにいてくださる幸いを、味わうことができますように。お祈りいたします。

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