24/12/2022

2022.12.24(土) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ゼカリヤ書9章10節
この方は諸国民に平和を告げる。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書2章14節
いと高き所には栄光、神にあれ
地には平和、御心に適う人にあれ。

『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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この方は諸国民に平和を告げる。
 
預言者ゼカリヤに託された神の言葉は「この方」について告げています。この方とは「あなたの王(9章8節)」のことであることが分かります。娘シオン、そしてエルサレムと言えば、神が愛され、特別に守られたご自分の民であり、この民は何度も神の期待を裏切っても、それでも神はこの民を諭し、戒め、そして慰め励まし続けました。そして遂に、あなたのための王が来られると、民に約束されたのでした。
 
私たちも、神によって愛されている民に他なりません。それも限定された狭い範囲のものではありません。今や、諸国民、つまり全世界に「あなたの王」がもたらす平和が及ぶのだと。そう神は人々に保証を与えます。
 
私たちはいよいよ本日の夕刻から、クリスマスシーズンを迎えます。クリスマスとは終わるものではなく始まるものである。私たちは1月6日までのクリスマスシーズンをどのように過ごすことができるだろうか。そんなことをあれこれ考えているときに、本日の聖書の言葉が与えるキーワード、それが「平和」であると私は受け止めたいのです。
 
2022年を振り返っても、平和が削がれていくような出来事がたくさんありました。ロシアとウクライナのあいだで起きている戦いが終わることがありませんでした。寒さ凍えるなか、多くの国民がクリスマスを迎えなければなりません。元首相の暗殺によって、宗教というものの意味が、これほどまでに問われることはなかったのではないかと思わずにはいられません。宗教によって苦しめられた多くのかたがた、特に2世と呼ばれる当事者のことを考えると、平和を与えない宗教の存在を、私は自戒を込めて受け止めたいのです。
 
人と人とのあいだに起こる様々なトラブルが、私たちの心を悩ませます。ごくごく小さな世界にも、平和を喜ぶことができない現実があることを思うと、私たちに平和をもたらす王とは、その王が何をもって、私たちを平和へと導かれるのか。そんなことを考えさせられるのです。それが救い主であり私たちの王であるイエスがお生まれになられたことを祝うクリスマスの時だからこそ、なおのことイエスが私たちの王として与えられていることの意味を問いたいのです。
 
どんなに救い主が私たちのもとに来たとて、それを私たちが受け止めなければ、受け止めた者として生きなければ、神がどんなに平和をこの世にもたらそうとしても、私たちのあいだに平和が宿ることは決してないのです。神を信じているから平和だ、平和だと言っているあいだに、私たちの気づかないところ、見えにくいところでは、平和と逆行する状況など、いくらでも起きているのだと。救い主をいただき、信仰の実体であるイエスをいただいた者として生きる。この世界で平和の源をいただいた者として、それを高く掲げながら、私たちはこの世界で生き抜くのだと。
 
いと高きところには栄光、神にあれ。
地には平和、御心に適う人にあれ。
 
聖夜を象徴する言葉が、本日の新約聖書として選ばれています。
そう。御心に適う人なのです。神の言葉に込められた御心が、私たちを神にとってふさわしい者として育むのだと。だからこそ、神の言葉に聴き、祈る。そして神に御心に適うことを心から望みつつ、神が与えてくださる平和に向かって、今日から始まるクリスマスシーズンの日々を過ごしていきたいと願わされました。
 
どうか、皆さんにとってのクリスマスが豊かな日々でありますように。主が皆さんのあいだに、そしてとりなし祈る世界に、平和を宿してくださいますように。お祈りいたします。

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