23/12/2022

2022.12.23(金) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編21編14節
主よ、力に満ちて、高くいませ。
私たちはあなたの力強い業を歌い
ほめ歌を歌おう。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
テモテへの手紙一3章16節
まぎれもなく偉大なのは、敬虔の秘義です。すなわち、
キリストは肉において現れ
霊において義とされ
天使たちに見られ
諸民族の間で宣べ伝えられ
世界中で信じられ
栄光のうちに上げられた。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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私たちには自分たちの常識では計り知れないことなど、いくらでも存在しているのであって、それら常識をはるか超えるところにこそ、私たちの神の御業があり、家畜小屋で生まれたイエスによる救いの出来事が与えられたのだ。
 
本日の新約聖書であるテモテへの手紙一3章の言葉に「敬虔の秘儀」という言葉が登場します。敬虔とはなにか、それが秘儀とされているとはどういうことか。これらの語に注目したいと思いました。
 
私たちは「敬虔」という言葉を聞くと、清く・正しく・美しくみたいなイメージを抱くかもしれません。一般に言われる「敬虔なクリスチャン」とは、品行方正でうるわしい振る舞いをする、そういう存在なのだと。しかし、私は全然違うと考えています。敬虔というと、どうしても私たちの側の言動ばかりが強調されているように感じます。しかし、敬虔とはそういうものでなく、あくまで神の側から出発するものなのだと、私は受け止めたいのです。
 
神の御業というものが、今日の新約聖書の言葉にもあるように、イエスという、神が私たちに与えられたひとりの人間を通して、実に不思議で、私たちの想像をはるかに超えた方法によって、救いの出来事がこの私に、そして全世界に広がった。これこそ、神が畏れ、敬われる本質があるのだと。そして、その本質とは私たちが自分たちの常識では考えられないミステリー(秘儀)なのだと。
 
ですから、敬虔というのは私たちの言動を指すというよりは、神がまさに偉大な方であるということが土台にあって、その土台のうえに立たされてる私たちの態度というものが、敬虔が表すところの意味なのだと、私は理解したいのです。
 
本日の旧約聖書の言葉には「神の力強い御業を歌い、ほめ歌をうたおう」とあります。神を賛美することも、私たちがいただいた敬虔から出発する私たちの表現であり、神への応答なのだと私は受け止めたいと改めて思わされました。
 
あのクリスマスの夜、暗闇のなかに輝く天使の歌声に、神の偉大さを知り、あの馬小屋に走り寄り向かった羊飼いたちの行動こそ、まさに敬虔の秘儀によって心動かされたゆえの応答でした。そこにこそ救いの出来事があるのだと。クリスマスが明日の夕刻から始まります。その備えとして、敬虔という言葉の意味というものをじっくり噛みしめながら、新しい一日を生きたいと思います。皆さんの一日にも、神が素晴らしい御方であることの本質があふれますように。お祈りいたします。

1 件のコメント:

  1. ここで、ローズンゲンを拝見できれば、幸せです!感謝!

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