12/12/2022

2022.12.12(月) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編31編17節
僕(しもべ)の上に御顔を輝かせ
慈しみによって私を救ってください。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙5章8節
あなたがたは、以前は闇でしたが、今は主にあって光となっています。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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おとといの夜のことでした。礼拝説教準備をしている妻の邪魔をしないように、そして出張で数日間まともなウォーキングができませんでしたので、街中で行われている「SENDAI光のページェント」を観に行ってきました。この時期、仙台の街の風物詩として多くの人を魅了させるイベントです。定禅寺通りのけやき並木に、見事なまでにイルミネーションが飾られていました。たとえクリスマスが何であるか知らなかったとしても、道行く人たちに感動を与える、とても素敵な企画だと思いました。
 
主のご降誕をいかに表現できるか。そんな先人たちの思いが、クリスマスイルミネーションというものを生み出したと言われています。そもそもイルミネーションの起こりは16世紀までさかのぼるわけですが、宗教改革者であるマルティン・ルターが森の中を歩いていたときに、夜空に輝く星に感動を覚えて、それを再現するために木にろうそくの光を飾ったところから始まったと言われています。暗闇に輝く光を再現したいほどに、それは美しく、ルターの心を魅了させたものだったのだろうと思うのです。
 
今日、私たちのために選ばれた聖書の言葉は、そのような暗闇に、人々の心を癒し、魅了させる光が注がれることで、私たちの誰でも暗闇の先に輝く光の世界を歩むことができるのだということを知らせるものなのだと、私はあらためて受け止めることができました。
 
では、私のうちにある「闇の部分」とは一体何なのかということを、今あらためてじっくりと考えさせられます。私にも多くの「闇の部分」が存在しています。しかし、その闇の部分を見たくない、触れたくもないと思うがゆえに、そこに蓋をして、まるで何事もなかったかのようにやり過ごすことが、私の日常のなかにもたくさんあることを思わされるのです。
 
しかし、そのような闇の隠しかたをすれば、闇の部分が余計に暗闇に葬り去られるような気がしてならないのです。闇の部分をもすべてご存知である神に、私のすべてをさらけ出すことによって、神の御顔から輝く光によって、自分自身が闇の部分をいつまでも抱え込むのではなく、神に委ねることの大切さを黙想させられます。
 
私たちが神の放ってくださる光のうちを歩むことができるように、いつも生きて働いておられる。そんな神に今日も守られていることに感謝しつつ、一日を歩みたい。そう願わされました。どうか皆さんの一日も、神が敷いてくださった光の道によって、心癒されるときでありますように。お祈りいたします。

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