11/12/2022

2022.12.11(日) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
箴言5章21節
人の道は主の目の正面にある。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書1章38節
マリアは言った。「私は主の仕え女です。お言葉どおり、この身になりますように。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

******
 
最後にローズンゲン黙想をしたのは11月25日、ケルンのホテルの部屋からブログに掲載しました。その翌朝に日本から連絡があって急きょ帰国、それからあわただしく、また心騒ぐ2週間の日々があっという間に過ぎていきました。このたびのことで、私や周囲のために祈ってくださった皆様へ、心から感謝いたします。まだいくつかの懸案が残されていますが、主なる神が道を開いてくださることを信じて、一日一日を歩んでまいりたいと思います。与えられた神の御言葉を、皆さんと共に聞くことのできる幸いに、心から感謝いたします。
 
さて、今朝も6時に起きて黙想のときをいただいているのですが、起きる直前に観た夢のことが気になっていました。どのような夢かと言いますと、私が山手線と埼京線が並ぶ線路を一人歩いていますと、向こうから埼京線の電車がやってきます。私は来る電車の隣の線路を歩いていると思ったのですが、なんと電車が来る線路の上を歩いていたのです。電車の警笛が鳴るなかで、もはや避けることはできません。もう命の終わりだ!そう思いながらも、私は線路の中央にさっとうつぶせになって、車輪と車輪のあいだを電車が潜り抜けていきました。電車が急停車し、私も手を挙げて「生きてます!」と叫び、電車は安全確認をして再発車した。その光景を周りが見て「生きてて良かったね」と励ましてくれた。そんな内容の夢でした。
 
なんとも不思議な夢でした。あの夢は何を意味していたのだろうかと思いながら、今日の御言葉を開きました。私は思わず「これだっ!」と思ったのです。「人の道は主なる神によって開かれている」。聖書協会共同訳には「正面にある」と訳されていますが、ドイツ語原文では「道は開かれている」と訳すことのできる言葉が用いられていました。確かに、主なる神が正面におられて、開かれない道があるはずがない。その通りだと思わされました。
 
どんなに危機一髪な出来事、命が奪われるかもしれないと思うことがあったとしても、命の道を神は必ず備えてくださるのだ。私が観た夢に登場した線路とは、そのような人生の旅路を意味していたのだろうと思ったのです。電車という轢かれたら一巻の終わりと思える出来事に遭遇したとしても、助けの道が備えられる。それを備えてくださるのは他でもない神なのだと思わされたのです。夢解きの鍵が御言葉にあったとはと、とても気持ちの良い思いにさせられました。
 
そう考えますと、今日の新約聖書の言葉もまた、神がすべての道を備えてくださるからこそ、死刑に処されるかもしれない多大なリスクの中で、神の言葉通りに生きる決意をした少女マリアの姿をみることのできる一文です。結果、マリアは何ひとつ危害が加えられることがありませんでした。それどころか、救い主イエスの母として、救い主の生涯を目の当たりにし、彼に仕えることのできた生涯を送ることができた。そのようなマリアの人生を与えてくださった神が、私たちの今日も守ってくださる。そんなことを胸にして、今日の一日をも歩んでまいりたいと願わされました。
 
今日、世界中の教会や集会で行われる主の日の礼拝の一切に、そして皆さんの一切に、神様の守りと祝福を、心からお祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿