08/11/2022

2022.11.8(火) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
エレミヤ書1章7節
「まだ若い」と言ってはならない。
むしろ、私があなたを遣わす相手が誰であろうと
赴いて、命じることをすべて語れ。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
使徒言行録18章9~10節
恐れるな。語り続けよ。黙っているな。私はあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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私はまだ若いのです。
 
神によってメッセンジャーとして立てられたのは、のちに預言者としてイスラエルはおろか、後代の人々にも知られることになった、歳若いエレミヤでした。神は、あなたが母親の胎内にいたときから知っていた。やがて私の言葉を人々に伝えるために、私はあなたを選んだとエレミヤに告げます。
 
エレミヤは、そのような務めを与えられるには、あまりにも人生経験に乏しく、おそれ多いことだと思ったのでしょう。そのときに、エレミヤは言いました。「ああ、わが主なる神よ。私はまだ若く、どう語ればよいのか分かりません。」(6節)
 
エレミヤのそのような思いに、神は語りかけました。「彼らを恐れてはならない。この私があなたと共にいて、救い出すからだ。」(7節後半)神からすれば、エレミヤの若さであるとか経験の乏しさなどというものは、どうでも良かったのです。私の言葉を伝える相手がどんなに恐ろしい者であろうとも、ただ語り続ければ良いのだ。なぜならば、私があなたと共にいるのだから。今日の旧約聖書に示された言葉です。
 
自信がない。それで良いのです。自信とは「自分を信じる」という意味です。信じるだけの自分自身がないのは、結果として神が共にいてくださることへの希望を生むことにつながります。自分を信じて歩もうという言葉が、この世界で当たり前のように用いられるなかにあって、自信がなくてどこが悪いのだと、私は今日の聖書の言葉を通して、あらためて気づかされます。
 
エレミヤは自信がなかった。だから「私はまだ若いから」と、自分の正直な気持ちを告白したのでしょう。しかし、そんなエレミヤだからこそ、神は預言者として選ばれ、そして立てられたのだと。自信のない姿にこそ、神が共にいてくださることの意味が明らかにされ、大きな助けがあるのだと。
 
それは、今日の新約聖書の言葉にある、宣教者パウロに夢のなかで語りかけた、神の言葉からも明らかです。ギリシアの都アテネで、パウロは自分に与えられた能力をフルに活用して宣教に励んだものの、その結果はのれんに腕押し。空しさだけがパウロを襲いました。もう福音を伝えることをやめてしまおう。そんな恐れがパウロを取り囲みました。
 
そして、次の宣教地であるコリントにおいても、安息日ごとに会堂でユダヤ人やギリシア人への説得にあたったと記録されています。しかし、その結果は決してかんばしいものではなく、むしろユダヤ人からの激しい抵抗に遭います。まさに追い打ちをかけるように、パウロに容赦なく降りかかる出来事の数々に、能力に長けたパウロは、自信を失っていたに違いありません。
 
しかし、そんなパウロにだからこそ、神は語りかけられました。私はあなたと共にいると。自信を持つことよりも、はるかに大切なこと。それは神がともにおられ、信仰の実体であるイエスが与えられていることへの、深い信頼関係によって生まれる希望なのだと。自信がなくて上等なのです。いや、むしろ自信がないことで、はじめて神が見えてくるのだと。
 
自分自身に今日も問いたいと思います。こんな自分で良いのかと。神がご自分の言葉を通して良しとされておられることならば、そのことにただ誠実な者でありたいと願わされました。そのような思いで歩む一日に、神が必ず祝福を与えてくださると信じつつ、私たちすべての歩みに、そのような神の導きが豊かにあることを、心よりお祈りいたします。

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