07/11/2022

2022.11.7(月) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書11章1節
エッサイの株から一つの芽が萌え出で
その根から若枝が育つ。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネの黙示録22章16節
キリストの言葉:
私は、ダビデのひこばえ、その子孫、輝く明けの明星である。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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ひこばえ。
樹木の切株や根元から生える若芽のことをひこばえ(孫生え)と呼ぶわけですが、切株から生えてくるひこばえを見ると、幹は切り落とされたとしても、根はまだ生きていて、それでもなお生きようとする生命力のようなものを、強く感じさせられたりします。
 
私たちの見た目には、死んだように見えたとしても、神の目から見れば、まだ死んでいない。死んでいないどころか、再生のために若い芽を吹きだそうとしている。それはすでに芽吹き、成長し、やがて大樹へと成長する歩みを、明らかに踏んでいるのだ。これが、神が私たち一人ひとりに見せておられる「御業」に他なりません。
 
今日私たちに与えられたふたつの聖書の言葉は、旧約イザヤ書は救い主であり世界の王、イエス・キリストに関する有名な預言のひとつであり、それが実現したとうたっているのが、新約ヨハネ黙示録の一節です。
 
すでに生命力を失ったかのように見えたイスラエルから、かつての栄華を誇ったダビデのような王が現れる。エッサイの切株から生えるひこばえは、神がお選びになられた愛する人々の系譜というものが、決して絶えていないことを表現するものでした。ひこばえが大樹となるまでのあいだ、神は私たち一人ひとりをご自分の御業を通して、ゆっくり、じっくり育てていくのです。やがて来る王を心から迎えることができるように。
 
その王は、明けの明星として光輝き、私たちのもとに現れてくださった。ダビデのひこばえなるイエス・キリストとして。これは、ローマ帝国の圧政と迫害のなかで、神を信じ、イエスをキリストとして信じ続けてきた信仰者にとっての希望でした。どんな迫害に遭ったとしても、死んではいない。まだ生かされているのだ。それどころか、神の御業が私を育て続けてくださる。だから迫害のなかでも生きていくことができるのだ。そんな情熱のようなものが聞こえてくる、今日の聖書の言葉です。
 
昨日、永眠者記念礼拝を終えることができました。この地上で信仰者として生涯を終えたかたがたを通して、神の御業というものを見せていただきました。人の記憶や経年劣化し、いつかは散逸してしまうかもしれない記録は、いつかは失われてしまう。しかし、人の目には思いには、消えてなくなるかもしれないけれど、神の目からすれば、ご自分の御業によって明らかに継承し、神の国に向かって着実に歩み続けている。その中心に救い主イエスがおられるということなのだと。
 
この希望に生かされつつ、今日という一日も歩んでいきたいと願わされました。ダビデのひこばえによって生かされる幸いが、今日も皆さんとともにありますように。お祈りいたします。

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