06/11/2022

2022.11.6(日) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書6章3節
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな
万軍の主。
その栄光は全地に満ちる。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ペトロの手紙一1章15節
あなたがたを召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のあらゆる面で聖なる者となりなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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今日は、私が属する日本基督教団では「聖徒の日」とされています。多くの教会で、永眠者記念礼拝がおこなわれることと思います。私が働く仙台宮城野教会でも、そのような礼拝が持たれます。
 
年に一度、かつて教会で信仰生活を送り、神の御許に召された信仰者を思い起こす機会としても、この礼拝を持たれるわけです。そのような方々のことを「聖徒」と私たちは読んでいるわけですが、それは決して、それらの方々が「聖なる人」となったわけではないというのが、プロテスタント教会が守り続けてきた考え方です。つまり、生涯を閉じた方が神格化するわけでなければ、仏様のような存在になるわけでもありません。
 
では、なぜ聖徒と呼ばれるのでしょうか。それは「神の聖によって、永遠に生かされる者となる」からです。数日前も、神の聖とは何かということについて黙想したことを思い出します。神の聖というものは、人間を愛し、探し求め、見つけ出し、守り抜くという神の名に示されたその務めそのもののことを指します。私たちは、そのような神から守られているからこそ、神の聖をいただく者として、聖に生きることができるというのです。それも永遠にというのが、イエス・キリストを通してなされた神の約束なのです。
 
かつての先達たちが、神に守られてその一生を過ごしたことを私たちが思い起こすときに、その方々を通して、聖なる神の姿を見ることができる。神が神とされることを私たちは確かめることができます。その神の姿を、今ここに生きる私たちも継承しています。そして、いずれかはそのバトンを、私たちは次世代に受け継ぐときがやってくるのでしょう。
 
新しい一週間がやってきました。どうか、この7日の営みも、そのような神の聖が私たちに浸みわたることによって、私たちが平安に生きる者とされる日々となりますように。心からお祈りいたします。

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