24/11/2022

2022.11.24(木) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書49章8節
主はこう言われる。
私は恵みの時にあなたに応え
救いの日にあなたを助けた。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書17章21節
神の国はあなたがたの中にある。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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昨日は、ローズンゲン黙想をアップする時間がありませんでした。そのような時間をきちんと取り分けられたらと思うのですが、久しぶりに時差のある環境に身を置きますと、いつもならば作業できる時間帯に眠気に襲われて作業できなかったり、いろいろ難しさを感じたりしています。日本時間は14時前ですが、こちらは現在朝の6時前です。私にとっては、やはり朝のこのひと時が、黙想をするのにぴったりな時間なのかもしれません。皆さんには、私のペースにつき合わせてしまっておりますが、どうぞお許しください。
 
神の国はあなたがたの中にある。イエスによって語られたひと言です。この言葉をどのように捉え、本日の御言葉として受け止めれば良いだろうか。そんなことを考えました。神の国は、私たちが決して創生できるものではありません。私たちの国であれば、それは私たちが創生するべきものであることは確かなのですが、主語が「神」である以上、神の国をつくり上げるのは、やはり神以外に他ならない。私はそう思うのです。
 
神の国を聖書から聴き、それを具体的に神の国を表現するところ。それは教会の務めであると言えます。しかし、その教会ですら、神がつくられるその国を表現することができているだろうか。そんなことを思わされます。
 
ケルンの街を歩いていましたら、かうて建物があったところが更地になっておりました。この場所に、ユダヤ人の博物館が建築されるとのことでした。ケルンに限らず、第二次世界大戦中に、ときの政権であったナチスは、ユダヤ人大虐殺をはじめとする悪政をおこなったわけですが、そのナチスに協力をしたのが、神の国を掲げる諸教会でした。それが本当に神の国の先取りであると信じたかどうかは別としても、しかし、神がご自分の国というものをどのように私たち人間に与えようとしているのか。そのあたりのイメージを、ときの教会は十分に理解することができず、とんでもない思い違いと選択をしてしまったと言わざるをえないのではないかと思うのです。
 
私たちは、自分自身がときに経験する、そのような思い違いや勘違いによって、神が望まれることから知らず知らずのうちに離れゆくなんていうことに気づかされるかもしれません。だからこそ、私たちのただ中に神がおられる、神の国が存在するということがどういうことかを謙虚に受け取る者でありたいと心から願わされます。私たちが神をつくり上げて真ん中に立てて崇拝するのではなく、私たちの心の真ん中に神がおられるなかで、私たちはその神の声にいかに聴くことができるのだろうか。平和というものは、そういうところから生まれるのではないかと思えてならないのです。
 
恵みをもって私たちに応答され、私たちを救い助ける。今日の旧約聖書の言葉です。自分の要求をそのまま神が聴いてくれるわけではなく、救いの手を差し伸べるわけでもない。しかし神は、そんな私たち一人ひとりをご自分の言葉で今日も励まし、慰め、必要なことを教え諭してくださるのだと。そのために、私たちが神を真ん中に立てなくても、神は私たちの真ん中にいてくださる。私たちが知るべきなのは、そういう神が私たちの中心におられるということだけなのかと思うのです。
 
午後を迎えた日本におられる皆様へ、これから一日を迎えようとしている欧州にある皆様へ、そしてどんな時でも神が真ん中におられることを励みに生きようとされるすべての方々に、神の守りと平和がともにありますように。お祈りいたします。

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