18/11/2022

2022.11.18(金) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
創世記12章1節
主はアブラムに言われた。
「あなたは生まれた地と親族、父の家を離れ
 私が示す地に行きなさい。」
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヘブライ人への手紙6章12節
信仰と忍耐とによって、約束を受け継ぐ人たちに倣う者となりなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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アブラムがカルデアのウルの地を離れて、神の示されるかの地へ旅立ったのは75歳のときでした。アブラム(のちのアブラハム)は、その後100年間神とともに歩んで、その生涯を閉じます。
 
決して比較できることではありませんが、興味があったので調べてみたところ、日本における男性の平均寿命(2021年)は、81.47歳だったのだそうです。これを単純計算でアブラハムの175歳に当てはめると、アブラハムの75歳は平均的日本人男性の何歳にあたるのか。34.91歳と出ました。ほぼ35歳と言えば、いわゆる青年期を終えてひとりの大人としての責任が増していく頃かもしれません。
 
これはあくまでわたしの私見ですが、175歳も生きた人物が、現在の私たちと同じように老化するとは思えないのです。もちろん、175歳という年齢が本当だったのかどうかという疑問も一方であるわけですが、もしそうだったとしたら、今の私たちよりも老化が遅かったのではないか。そんなことを想像するのも、聖書を読む楽しさのひとつだったりします(ちなみに妻のサラは127歳で生涯を閉じています。日本人女性の平均寿命が87.32歳ですから、サラがイサクを身ごもった時の年齢(90歳)は、日本人のそれに相当すると61.88歳。確かに、赤ちゃんを身ごもるには難しい年齢かもしれませんね)。
 
それはさておいて、本日の聖書の言葉に戻ります。
 
人は青年期に得た人生設計というものを、いよいよ中年期で実現化しようというときに、予定の変更を迫られたらどうなるだろうか。私はそんなことを考えました。アブラムも、カルデアのウルという、メソポタミア地域の比較的肥沃な場所で、家畜を育てながら生活をしていたわけで、ある程度自分の人生の道というものが定まりつつあるなかで生活していただろうと想像できるのです。
 
しかし、ここで神の声がアブラムに届けられます。あなたが受け継ぎ、築き上げてきたものを置いて、私が示すところに行きなさいと。もし私たちがアブラムだったら、どのように神の声を受け止めるか。そんなことを思うのです。
 
最近は「財産をすべて捨てて、私に従いなさい」なる宗教が世間を賑わせていますから、そんな神の声にも、私たちは一瞬ドキッとしてしまうかもしれません。しかし、そのような宗教と決定的に違うのは、神は決してまやかしのない守りと祝福を、これまでの人生を置いて、新たな人生の旅路に発ったアブラムの人生に与えられた、というところにあります。
 
神はときに、人間の人生設計を大いに変える方です。しかし、人間がそれを信仰と忍耐をもって受け入れたときに、神はその人間を決して我欲のために利用したり、利用価値が無くなったら捨ててしまうような方ではありません。信仰をもって答え応じた人間に、最後の最後まで人間を守り抜き、祝してくださる方、それが私たちの神であるというのです。
 
私たちは、それを忍耐をもって受け入れなければならないときもあるでしょう。答えがでないとき、自分の希望と裏腹の状況に動いているときに、私たちは神が差し出してくださる守りを待ち続けなければならないときもある。しかし、こういう時にこそ、アブラムが歩んだ人生から、私たちは多くのことを学ぶことができるのかもしれません。
 
約束を受け継ぐ者たちに倣う者となりなさい。この聖書の言葉を、今日を生きる合言葉として握りしめたいと思いました。どうか、皆さんの新しい一日にも、そのような神の守りと祝福が豊かにありますように。お祈りいたします。

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