19/11/2022

2022.11.19(土) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書62章11節
主は地の果てまで布告された。
娘シオンに言え。
見よ、あなたの救いがやって来る。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ペトロの手紙一1章3節
私たちの主イエス・キリストの父なる神が、ほめたたえられますように。神は、豊かな憐れみにより、死者の中からのイエス・キリストの復活を通して、私たちを新たに生まれさせ、生ける希望を与えてくださいました。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

******
 
どんなに挫折を味わおうとも、それはやがて来る復活への一里塚。
 
そんな言葉が、私の思いにあふれてきました。本日、私たちに与えられたふたつの聖書の言葉を目の前にして、この言葉を胸にして生きていきたい。それが希望なのだと。
 
私が大好きな曲があります。ご存知のかたもおられると思いますが、サルーキ=というロックバンドによって歌われた「復活進行」という曲です。↓のYouTube動画からご覧ください。本当に素敵な曲です!
 
 
私は思います。この世の中に本当に復活があるのだろうかと。それは、死んだ人が生物学的に生き返るということを言うのではなく、死んだような思いを経験したとしても、再びやり直せるようなチャンスを、この世の中から見つけ出すことができるのだろうか、そんな疑問をいろいろな場面から見えてしょうがないのです。
 
完膚なきまで叩きのめされる世界、そこにはゆるしも何もなく、怒りと憎しみで満ちあふれるような世界。再びはい上がってこれなくするまで、もはや愉快犯的につぶしまくる世界。これじゃ復活もへったくりもあったもんじゃない。そう思うのです。
 
イエス・キリストが死者のなかから復活されたという事実は、そういうゆるしのない私たちのただ中で起きているということを、私は自分のこととしてどれだけ受け止めているのだろうか。そんなことを考えずにはいられませんでした。復活信仰に生きつつ、復活への進行をする者として歩んでいく。自分自身の「業の深さ」が見えてこそ、復活を与えてくださったイエス・キリストの存在が、どれだけありがたく、また尊いものであるかを思い知らされるのです。
 
復活に生きるとは、神にゆるされて歩む私たちもまた、同様に神にゆるされて生きることのできる一人ひとりのために祈り、一緒に復活の主であるイエスを見上げて共に歩むことができるかであると、今日の御言葉から聴かされた思いがしています。
 
今週もあっという間に最終日を迎えました。この7日間を振り返りつつ、主の復活日である日曜日への良き備えとしての一日を迎えることができますように。祈りつつ、皆さんの主にある平安と祝福を、心よりお祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿