16/11/2022

2022.11.16(水) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ヨブ記28章28節
主を畏れること、これが知恵である。
悪を離れること、これが分別である。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書11章35節
自分の中にある光が暗くならないように気をつけなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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本日の新約聖書の言葉に「自分の中にある光が暗くならないように」というイエスの言葉があります。暗くなるとは、闇の状態を指します。あなたの中にある光、それは神が私たちの心に投じてくださる御自身の放つ光のことを指すわけですが、その光が見えなくなってしまうほどに、私たちの心が真っ暗闇になってしまうのであれば、それはあまりにも勿体ないことだ。だから、そうならないように心を配りなさいという、イエスの人々に対する勧めの言葉です。
 
そのことを、本日の旧約聖書の言葉は具体的に「悪から離れることは分別である」という言葉につなぎ合わせようとしています。ここで、悪が何であるかということを論ずる前に、それが「分別」であるという言葉に、私たちは注目したいと思います。分別とは、日々起こる出来事に対して、慎重に考えたり判断をすることという意味があります。悪から離れるためには、今起きている出来事に対する慎重かつ十分な考慮というものが必要なのだということを、この聖句は私たちに伝えています。
 
では、私たちが慎重に考えたり思ったりするためには何が必要なのでしょうか。私たちにはそのことを考えるための基盤というものを必要とします。それこそ、神が私たちのために放ち、投じてくださる光なのだと私は受け止めました。私たちはこの世を生きるためには知恵を必要とします。その知恵とは何なのか。今日の言葉には「神を畏れること」と書かれています。神が私たちの幸いのために、生きて働いてくださることへの畏敬の念が、私たちに知恵を与え、光を光として受け入れる分別というものを示してくださるのだと。
 
こうして、はじめて「悪」とは何であるかを、私たちは神の視点ということから出発して、考えることができるのではないかと思ったのです。私たちは「悪」というものについては、そもそも持っている良心というものが悪を規定させる力をもっているわけですが、しかし、私たちによる悪への判断基準のほとんどは、親や社会からの教育や習慣によってつくりあげられるものであると言って良いでしょう。
 
だからこそ、私たちは神の視点というものを大切にしたいと思わされました。神は私のこの出来事に、また今起きようとしていることを、どのように考えているのだろうか。そのために、御言葉に聴き祈るという私たちの連続的な営みこそ、私たちのうちに闇をつくらないために、無くてはならないものなのでしょう。今日も、そのような思いをもって、御言葉に聴いて祈る生活を大切にしたいと思わされました。
 
皆さんの一日に、光を投じてくださる神の守りと祝福が豊かにありますように。お祈りいたします。

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