15/11/2022

2022.11.15(火) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
サムエル記上9章27節
サムエルはサウルに言った。「あなたはしばらくここにいてください。神の言葉をあなたに聞かせます。」
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書13章16節
あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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神の言葉をあなたに聞かせる。その聞く耳があなたにあるならば、それはあなたにとって幸いなことなのだと。
 
本日与えられたふたつの聖書の言葉をつなげると、こんなことが言えるのではないかと私は思いました。神の言葉に耳を傾けるとは、いったいどういうことなのだろうか。もちろん、神の言葉に聴くということを、私たちは普段の営みとしておこなっているわけですけれど、その当たり前とも言える営みのなかで、私たちは「どのように」聴くことができるのだろうか。そんなことを少し黙想したいと思いました。
 
私は、今日の旧約聖書に記されている、イスラエルの指導者であるサムエルが、自分の後継者であるサウルに対して語った言葉に注目しました。あなたはしばらくここにいてくださいという言葉です。この聖書の言葉ですが、原文であるドイツ語聖書では、今、あなたは静かに立っていなさいと日本語に訳せるようなものとなっています。何のために、サウルは静かに立つ必要があったのでしょうか。神がこれから語られる言葉に、耳と心を傾けるためでした。
 
ただ静まって、立ち止まって、神の語られる声に耳と心を傾けること。そういう時が、サウルの今後の人生を支えるということをサウル自身が知るために、サムエルの後継者としてイスラエルを治める最初の心構えとして、サムエルはサウルに対して、このようなことを伝えたのでしょう。王としての道を進みゆくためにも、時として立ち止まること、ただ静まることの大切さを、今日の聖書の言葉は私たちに伝えているような気がしてならないのです。
 
こうして、皆さんにお届けしているローズンゲン黙想ですが、これは当時病身にあったある方のリクエストによって始めたものです。最初はツイッターからでした。ほんの数十文字の黙想でした。しかし、黙想しているうちに、自分自身が立ち止まって、御言葉に聴くことが私にこのことをリクエストされた方のためというよりは、自分自身の養いには欠かせないものであると気付くようになりました。そして、文章に書き留めておくことを習慣化したくて、現在のかたちに落ち着きました。この一日の習慣が始まって、もう7年ほどになります。
 
ときに、毎日文章に書いて、大変ではありませんかと聞かれることがあります。確かに、先日のように時間がうまく取れないこともありますが、これは義務感に駆られてしているというよりは、まず最初に自分自身が少しでも立ち止まって静まる時が欲しくて、私の場合は文章を綴るという方法を通して、このことを行っていますので、そのことは負担に感じたりすることはありません。むしろ、私の黙想を皆さんに付き合わせてしまっているように思えることもありますが、黙想を分かち合うというのも、またこれは、神の恵みを感じるひと時であることに間違いありません。
 
TwitterやFacebookなどのSNSや、最近ではLINEの公式アカウントを通して、その黙想の分かち合いをさせてもらっていますが、黙想に対する感想や反応、祈りの言葉や、ときには違和感のようなものをリアクションしてくださるとき、そのどれもが私にとっては大きな養いのとき、立ち止まってまた黙想したいと思わされるひと時なのだと。ですので、これを読んでくださる皆さんには、心から感謝の気持ちでいっぱいですし、神が皆さんを通して、また多くの気づきと幸いを与えてくださるのだと。そんなことを、今日の聖書の言葉から思わされました。
 
どうか、今日も主にあって素敵な一日でありますように。お祈りいたします。

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