13/11/2022

2022.11.13(日) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
士師記6章17節
ギデオンは言った。「もし御目に適いますなら、私と話しておられるのがあなたであるというしるしをお見せください。」
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネの手紙一5章14節
何事でも神の御心に適うことを願うなら、神は聞いてくださる。これこそ私たちが神に抱いている確信です。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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神の御心に適うことならば。
 
今日のふたつの聖書の言葉を通して、心に響いたひと言です。私たちは、神の御心をというものを、どのように知ることができるのでしょうか。私たちが知りうるただひとつの方法は、神が私たちに与えた言葉によってのみ、それを知ることができます。それだけではありません。私たちに神のことを理解するために助けとした与えてくださる聖霊の知恵と力によって、私たちは神の言葉を神の言葉として受け取ることができるのだと私は信じています。
 
ですから、聖書と聖霊という言わば車の両輪のような働きが健全になされるためには、バランスというものが必要です。聖書というものが単に紙切れに書かれた文字の羅列のように、また、聖書そのものがあたかも神通力のかたまりのように力を発するようにとらえてしまうのであれば、それは聖書を通して神の御心に聴くということにはならないと私は考えています。聖書そのものを神として扱うことになってしまわないだろうか。そう思うのです。大切なのは、聖書の言葉を通して、その向こうにある神の思いというものに、耳と心を傾け続ける営みをしていくということなのだと私は感じます。
 
そして聖霊です。聖霊は聖書の言葉と神をしっかりとつなぎ合わせるために無くてはならない助けです。しかし、聖霊をあたかも人間の万能をうたう力のようにとらえてしまうならば、それは神の言葉を通して神の御心を身に受けるのではなく、私自身が神となってしまう助けとなってしまうでしょう。聖霊を受けるというのは、しばしば自分自身の感性と合一することがあります。私の考えが神の御心にすり替わってしまうのです。聖霊を受けた人間の思いは神とつながっているのだと。しかし、聖霊とはそういうものではありません。あくまで、人間の思いが神の御心によって変革させられるための助けに他ならないのです。
 
ですから、私が聖書の言葉を受け取るときに、それを自分自身に照らし合わせるときに、それが本当に神の御心に適ったことなのかどうかを、じっくりと黙想する営みは本当に大切なのだと思います。聖書と聖霊というものがバランスよく自分のなかで受け入れたときにこそ、神の御心が自分自身にとって生きる力になるのだと、今日の聖書の言葉を受け止めることができました。
 
どうか、今日から始まる新しい一週間が、神の御心によって自分自身が道を進みゆく幸いに出会うことができますように。心よりお祈りいたします。

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